浜田涼展
ひかひか じわ
ーまる、まっすぐ、斜め、ランダムー
HAMADA Ryo
浜田涼展の展示風景です。
壁面別の展示をご覧下さい。
展示室A、左側の壁面です。
展示室A、右側の壁面です。
展示室B、左側の壁面です。
展示室B、右側の壁面です。
以上の15点で浜田涼展は構成されています。
(ページ最上の作品は展示室Bのコーナーです。)
作品はすべて写真作品(アーカイバルピグメントプリント)で、エディション(限定部数)は各5です。
作品の詳細をご覧下さい。
展示室A、左壁面左の作品です。
左からタイトル「ひかひかじわ08」でサイズ322×483mm、「ひかひかじわ10」で322×483mm 、「ひかひかじわ09」で420×238mm、「ひかひかじわ01」で515×686mmです。
展示室A、左壁面右の作品です。
左から「ひかひかじわ12」で322×483mm、「ひかひかじわ11」で483×322mm、「ひかひかじわ07」で322×483mmです。
展示室A、右壁面の作品です。
左から「ひかひかじわ02」で329×439mm、「ひかひかじわ05」で418×280mm、「ひかひかじわ03」で329×436mmです。
展示室B、左壁面の作品です。
左から「ひかひかじわ04」で280×420mm、「ひかひかじわ01」で329×439mmです。
展示室B、右壁面及びコーナーの作品です。
左から「ひかひかじわ13」で362×483mm、「ひかひかじわ01」で987×1316mm、「ひかひかじわ06」で174×153mmです。
<作家コメント>
「循環する時間」のひとつである、幾度も経験済みの季節。
「進む時間」による常に未経験の、心身・環境。
忘れていたことが蘇る時の、時間をワープする感覚。
どれでもない、「行ったりきたりする時間」の感覚。
それらは複雑に絡み合ったり、時に整ったり、またばらけたり。
本展のメインの作品は「ひかひかじわ01」です。
展示室Aに1点、展示室Bに2点の合計3点もの展示があるからです。
案内状ハガキの作品画像も「ひかひかじわ01」です。
意味深なタイトルも相まって、これが浜田さんの新展開と思ったのはわたしだけではないでしょう。
ところがギャラリーで浜田さんにお話を聞くと、この作品2012年の制作とのこと。
つまり出品作品では最も初期のものになります。「ひかひかじわ01」は浜田作品の特徴である深みのある色のグラデーションが見られません。
コントラストもあまりありません。
しかしその(ある意味)平面的な画像がとても新鮮です。
半透明な何かをスクラッチしたような痕跡と平板な明るさに、新しさを感じます。
それは作家コメントにあるような「時間の交錯」かもしれません。
らせん状に循環する時間が、12年前の光景にスポットを当てたとしか思えません。
新しいこととはどういうことなのか、そんな疑問も浮かんでくる作品です。前回に続き分割された大きな「ひかひかじわ01」はヒラヒラしています。
スマートフォン以前の写真のほとんどは紙が媒体でした。
それも雑誌や新聞形式で多くの人は写真を見ていました。
(プライベートな写真はアルバム形式でした。)
そんな歴史を循環させたような、斬新なヒラヒラ展示。
ヒラヒラした写真は雑誌の1ページを彷彿させますね。最後に触れたいのはピンボケという手法です。
これは格段珍しいスタイルではありませんが、浜田さんのそれは絵画の歴史を踏まえています。
つまり印象派以降に顕著になった「光」そのものを捉えようとする歴史です。
(それは写真の発明と大きく関わっています。)
刻々と変わる「光」とは何か。
チューブ絵具の出現と同時に屋外に出た画家たち。
当時の写実とは大きく異なる、スナップショットのような描法は浜田さんの手法と重なります。
それも「時間の交錯」と言えます。
「光」は生命の、エネルギーの根源です。
その変化を記録したのが印象派の絵画であり、現代の浜田さんの写真作品です。
そして「光」の変化とは、時間そのものと思います。
ご高覧よろしくお願い致します。
浜田涼藍画廊2001年個展
浜田涼藍画廊2002年個展
浜田涼藍画廊2003年個展
浜田涼藍画廊2004年個展
浜田涼藍画廊2006年個展
浜田涼藍画廊2007年個展
浜田涼藍画廊2009年個展
「世界」2010 浜田涼展
浜田涼藍画廊2012年個展
浜田涼iGallery DC2014年個展
浜田涼藍画廊2016年個展
浜田涼藍画廊2019年個展
浜田涼藍画廊2022年個展
浜田涼藍画廊2023年個展
会期
2024年5月27日(月)ー6月1日(土)
11:30ー19:00(最終日17:00)
会場案内