浜田涼展
とろける times
HAMADA Ryo
浜田涼展の展示風景です。
各壁面の展示です。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
正面の壁面です。
右側の壁面です。
入口横の壁面です。
以上の34点が展示室の展示で、その他小展示室に4点の展示があります。
作品はすべてアーカイブピグメントプリントで、サイズは329x483mmです。
作品の詳細をご覧下さい。
左壁面左端、左から2番目の上下の作品です。
左からタイトル「とろける times 01」、「とろける times 02」、「とろける times 03」、「とろける times 04」です。
左壁面、左から3番目、右端の上下です。
左から「とろける times 05」、「とろける times 06」、「とろける times 07」、「とろける times 08」です。
正面壁面、左端、中央の上下です。
左から「とろける times 09」、「とろける times 10」、「とろける times 11」、「とろける times 12」です。
正面壁面、右端の上下です。
左から「とろける times 13」、「とろける times 14」です。
右壁面、左端、左から2番目の上下です。
左から「にじむ、視界 01」、「にじむ、視界 02」、「にじむ、視界 03」、「にじむ、視界 04」です。
右壁面、左から3番目、4番目の上下です。
左から「にじむ、視界 05」、「にじむ、視界 06」、「にじむ、視界 07」、「にじむ、視界 08」です。
右壁面、右端の上下です。
左から「にじむ、視界 09」、「にじむ、視界 10」です。
入口横壁面、左端、左から2番目の上下です。
左から「うごく、点滅 01」、「うごく、点滅 02」、「うごく、点滅 03」、「うごく、点滅 04」です。
入口横壁面、左から3番目、4番目の上下です。
左から「うごく、点滅 05」、「うごく、点滅 06」、「うごく、点滅 07」、「うごく、点滅 08」です。
入口横壁面、右端の上下です。
左から「うごく、点滅 09」、「うごく、点滅 10」です。
〈作家コメント〉
共に時を経た、もの、空間。そこには様々な瞬間が蓄積されているのだろうか。
風すらも幻影のように、レイヤーとなり、溶けて染み込んでいるのだろうか。
それとも、そんなことはなく、ただただそこに、そこやそれはあり、風はただ吹きすぎ、
自分はそこに居たり居なかったり、しているだけなのだろうか。
前者なら良いかと言えばそうでもなく、後者なら寂しいのかと言えばそうでもなく。浜田さんの作品の形式は写真ですが、浜田さんを写真家と呼ぶのは無理があるように思えます。
作品を見れば、カメラを使って絵画的表現を為しているに見えます。
そうであれば美術家と形容した方が自然です。
(ま、これはどっちでも良いことですが。)
今回のモチーフになっているのは室内の景色、光景です。
例によって見事で絶妙なピンぼけですが、映っているのは何でしょうか。
呆然とした画面からは「気配」が漂ってきています。
「気配」とは、はっきりとは見えないが漠然と感じたり、空間に立ち込めているものです。
「気配」が生じるのは、そこに人の生活があったり、ものに時間が積もった時です。
(あるいは、季節の移り変わりの兆しです、)
それが画面に輝いていて、その有様がとても絵画的です。
いつ頃からか絵画は(写真も)目に見えるものの記録から、目に見えないものを描くことにシフトしています。
恐らく、「気配」とはエネルギーの移ろいのことです。
光や生命が止まることなく変化していく様相です。
それが時間(times)であり、時間は直線ではなく、循環です。
生活の豊かさとは、その循環に繋がる(とろける)ことであり、絵画はそれのライブ配信です。
瞬間を切り取るのではなく、時間をあまねく描く試みが浜田さんの絵画=写真と想像しました。
ご高覧よろしくお願い致します。作家Webサイト http://www.hamadaryo.com
浜田涼藍画廊2001年個展
浜田涼藍画廊2002年個展
浜田涼藍画廊2003年個展
浜田涼藍画廊2004年個展
浜田涼藍画廊2006年個展
浜田涼藍画廊2007年個展
浜田涼藍画廊2009年個展
「世界」2010 浜田涼展
浜田涼藍画廊2012年個展
浜田涼iGallery DC2014年個展
浜田涼藍画廊2016年個展会期
2019年5月20日(月)ー6月1日(土)
日曜休廊
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内