浜田涼展
逡巡とひらひら
HAMADA Ryo
浜田涼展の展示風景です。
各壁面の展示をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
正面の壁面です。
右側の壁面です。
入口横の壁面です。
以上の5点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に1点の展示があります。
作品はすべて写真(アーカイバルピグメントプリント)です。
作品の詳細をご覧下さい。
左壁面左の作品です。
タイトル「夏の終わりにやってきた春~さがしもの 」で、サイズ987×1449mmです。
左壁面右の作品です。
タイトル「逡巡とひらひら01」で、サイズ658×966mmです。
正面壁面の作品です。
タイトル「夏の終わりにやってきた春 」で、サイズ1645×2415mmです。
右壁面の作品です。
タイトル「逡巡とひらひら02」で、サイズ1316×1932mmです。
入口横壁面の作品です。
タイトル「逡巡とひらひら02」サイズ324×482mmです。
小展示室、事務室壁面の作品です。
左から、タイトル「夏の終わりにやってきた春」で、サイズ324×482mm、
「夏の終わりにやってきた春~さがしもの 」で324×482mm、
「逡巡とひらひら01」で324×482mmです。
〈作家コメント〉
記憶や認識の曖昧さをテーマに、なにかを明確化することや、なにかに結論を出すことへの違和感を、
写真やアクリル、ガラスなどを用いた実態がつかめない作品で表現し続けてきました。
本展では、感情を表面化させることを意識してみることにしました。
迷い、恐れ、悲しみ。喜びや、ささやかな楽しみ。
ウキウキして見るとき、泣きながら見るとき、対象が変わらずにあることに喜ぶのか、怒るのか。
ささやかでもくっきりと感情が湧き上がるとき、他のことはどこかに行ってしまうのでしょうか。
エアコンの風に「ひらひら」と紙が揺れています。
紙はインクジェットの写真用紙で、それが何枚かで一つの画像を結んでいます。
あるいは、一枚で一つの画像に成っています。
それで、画廊には8点の作品が展示されています。
画像はピンボケで何かを写したものではあるのですが、モチーフは確定できません。
それで「逡巡」しながら、その美しい画像をボーと眺めていたりしています。
頭もボーとしてしまったのか、8点の作品が、実は4点の画像を基にしていたことになかなか気が付きませんでした。
つまり、一つの画像をそのまま一枚の紙にプリントしたものと、それを大きく引き延ばして分割して展示したものの二種類があったのです。
まぁ迂闊といえば迂闊でしたが、それで解ったこともありました。
同じ画像でも、大きさによって、分割によって違って見えることです。
どこに美しさを感じるかは、提示の仕方で変わってくるということです。
それは認識の問題と深く関わっていて、バカにできないなと思いました。その昔、絵画のイメージ(イリュージョン)と物質性の問題が議論されたことがありました。
その伝で言えば、紙にプリントされた画像が「ひらひら」している本作は、真にシンプルにそれに言及しています。
座布団一枚と言うか、アッパレというか、目から鱗です。
それで空間まで結構に拵えているのですから、作者は相当な腕前とわたしは見ました。写真が出現した時、絵画は写実本位から決別しました。
その結果、印象派やらキュビズムやらコンセプチュアルアートまで生まれたのは喜ぶべきことだと、個人的には思います。
ところが、このところ写真的にリアルな超写実主義絵画が持て囃されています。
それは良いのですが、モチーフが専ら美女だったりして興醒めすることしきりです。
絵画に物語が求められていることは理解できますが、これはないと思います。
その点、本作は写真なのに何が写っているのかサッパリわかりません。
歴史においての絵画と写真の見事な逆転であり、そこには今のリアルな風景や静物の美しい描写があります。
ご高覧よろしくお願い致します。浜田涼藍画廊2001年個展
浜田涼藍画廊2002年個展
浜田涼藍画廊2003年個展
浜田涼藍画廊2004年個展
浜田涼藍画廊2006年個展
浜田涼藍画廊2007年個展
浜田涼藍画廊2009年個展
「世界」2010 浜田涼展
浜田涼藍画廊2012年個展
浜田涼iGallery DC2014年個展
浜田涼藍画廊2016年個展
浜田涼藍画廊2019年個展
浜田涼藍画廊2022年個展
会期
2023年5月29日(月)ー6月3日(土)
11:30ー19:00(最終日は18:00まで)
会場案内