河田政樹展
夜空のレッスン
KAWADA Masaki
河田政樹展の展示風景です。
各壁面の展示をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
正面の壁面です。
右側の壁面です。
入口横の壁面です。
以上の3点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に1点の展示があります。
全体がタイトル「夜空のレッスン」のインスタレーションになっていて、音源、ベンチ、ドローイングなどで構成されています。
作品の詳細をご覧下さい。
左壁面、正面壁面、右壁面の音源装置です。
コンパクトなCDプレイヤーのスピーカーから、別々に音(音楽)が流れています。
各々のCDには、ハイドンの楽譜からある法則に従ってにピックアップした音符が、コンピューターによってエンドレスで演奏されています。
正面壁面の作品です。
左は紙にインクの使用で、サイズは420×297mm、
右は紙にインクの使用で、サイズは174×126mmです。
入口横壁面、左端の作品です。
紙に木炭の使用で、各765×542mmです。
入口横壁面、右端の作品です。
サイズ、マテリアルは左端の作品と同じです。
作品鑑賞用のベンチであり、インスタレーションの一部である作家自作のベンチです。
〈作家コメント〉
それが何なのかよくわからないけれど、どうやらそれは何かのようだ。
間違いとか正しいとかいうことではなく美しいということ。
河田さんのインスタレーション、及び個々の作品は一見難解です。
しかし入口がわかるとすんなり作家の世界に入っていくことができます。
インスタレーションは大きく分けると、音楽の楽譜に関するものと日常のメモに関するものです。
何かを書き留める=抽象化することで情報は固定され普遍化しますが、そこから抜け落ちるものをテーマにしています。
例えば、入口横壁面の連作は河田さんが記した日常のメモから無作為に文字をサンプリングしたものです。
一種のドローイングですが、紙に数字やチェックマークが意味もなく描(書)かれています。
必要とされた事柄を書き留めたメモですが、解体されて情報としては役立たずです。
しかし、そこには河田さんの具体的な、直接的な何かが表れています。
本人も意識していないような何かですが、それでも間違いなく河田さんの痕跡です。私とは何か。
人は自分のことは誰よりも解っていると思っています。
しかしそれが単なる思い込みであることは多々あります。
視点を変えてみれば、私の知らない自分がそこに現れます。
他方、人間は楽譜に代表されるような抽象化によってコミュニケーションを広げてきました。
しかしそれは音楽の固定化であり、現実(例えば即興)の排除も生んでしまいます。人間の進化とは、抽象化による具体の喪失です。
言葉を変えれば、観念や精神活動による肉体のスポイルです。
そこを掬い上げて具体の復権を試みたのが、河田さんの作品のように思います。
楽譜の中の1つの音をサンプリングして自由に(無作為に)組み立てると、抽象化された音楽に息が吹き込まれたような感覚を覚えます。
この音楽を含むインスタレーションは美しい。
わたしはそう思って理由を考えましたが、途中で断念しました。
設置されたベンチに坐って、今のその時を過ごしている心地良さが答えだと思ったからです。
楽譜や文字の世界から、現実の人の痕跡の世界へ。
理屈から離れて、ただひたすら「夜空のレッスン」に身を預けることにしました。ご高覧よろしくお願い致します。
河田政樹2005年藍画廊個展
河田政樹2007年藍画廊個展
河田政樹2010年藍画廊個展
2013年藍画廊「子育てと美術」展
加藤学×河田政樹2016年藍画廊
加藤学×河田政樹2018年藍画廊
会期
2022年5月30日(月)ー6月4日(土)
11:30ー19:00(最終日18:00)
会場案内