草加登起夫展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。 左から、作品サイズF20号で、キャンバスに油彩、 F20号で、キャンバスに油彩、 F50号で、キャンバスに油彩です。 |
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入口横右の壁面です。 F12号で、キャンバスに油彩です。 |
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左側の壁面です。 F50号で、キャンバスに油彩です。 |
以上五点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
作品のタイトルはすべて「水面の裏側に触れる」です。
左壁面の作品です。
水面上の手と水中の手が、何かを掴もうとしている?
その様に見えますが、草加さんに尋ねてみました。
画面は水中からの光景です。
下の手は実際の水中の手で、上の手は(水中から見た)水面に映った手です。
水中から水面を見ると、光の加減で水中の様子が鏡にように映るそうです。
つまり、二本の手は同じ手で、上の手は鏡像ということになります。
正面壁面左側の作品です。
同じく、水中から光景。
指先で水面を掻き回している感じですね。
正面壁面右側の作品です。
今度は、指先全部を水面ギリギリまで上げています。
二本の手が指先で合わさっていますが、上の手は鏡像です。
右側壁面の作品です。
子供がプールで泳いでいる図、ですね。
本展全体のモチーフとなった作品で、水中から子供の泳ぐ様子を描いています。
水面は子供の鼻の辺りで、水中で吐いた息が白い泡となって、水面にも映っています。
暑い日が続く中、涼しげな展示ですが、この作品が最も涼を感じます。
入口横右壁面の作品です。
手が引きつけられるように、触れ合おうとしています。
これももちろん水中からの光景で、上の手は水面に映った手です。
幻想的で、宗教的な雰囲気を感じさせる構図、色彩です。
八月半ばを過ぎても、暑さは一向に衰えません。
まったくもって暑い夏です。
それを見越して、草加さんが涼しげな絵画を描いたわけではありませんが、とても目に涼しい展示です。
作品の基になっているのは、水中から写真撮影したプリントです。
それをキャンバスに油彩で描いています。
描いている焦点は、水面です。
前回は俯瞰した(水面上から見た)水面でしたが、今回は水中から見た水面です。
水中から水面に向かって手を伸ばしていくと、指が水から突き出る寸前が水面です。
突き出た指を下げていくと、指が没する寸前が水面です。
その境は確実にあるのですが、指は認識できません。
水中から上を見ると、水中の様子が鏡のように水面に映ります。
視覚では、水面は確かにそこあります。
水面は膜のようなもので、映画のスクリーンのごとく水中を映しています。
ここでハタと気が付くのは、わたしたちはこの膜のような面で、世界を認識しているのでないかということです。
そこに何かを映しだすことのよって、世界の実在を信じているのかもしれません。
絵画も、そのようなものです。
水面は境です。
草加さんは、何かと何かの境にある面に固執しています。
話が飛躍しますが、生と死の間にあるのも境です。
生前と死後は区別できても、その境は曖昧模糊としています。
どこからどこまでが生で、どこからどこまでが死か。
判然としません。
しかし、境があることで人は生きることの意味を考えます。
そして、その境を膜のようなモノに映しだすことで、意味を実態として捉えます。
絵画も、そのようなものとしてあります。
最後に、草加さんから面白い話を聞きました。
人類が海を出て陸に上がったとき、その境として水面があります。
境を超えたとき、人は陸の生物になりました。
人類にとって、水面という境は世界の転換点でもあったのです。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展
2003年藍画廊個展
2004年藍画廊個展
2005年藍画廊個展
2006年藍画廊個展