草加登起夫展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「見えない水面No.2 」で、作品サイズはP8、
「見えない水面No.3 」で、F12、
「見えない水面No.1 」で、F8です。
入口横右の壁面です。
左から、「見えない水面No.5 」で、F3、
「見えない水面No.6 」で、F4です。
左の壁面です
「見えない水面No.4 」で、F25です。
以上が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点、芳名帳スペースに一点の展示があります。
作品はすべてキャンバスに油彩です。
左壁面の「見えない水面No.4 」です。
さて、これは何を描いたものでしょうか。
三つの窓のようなものは、映り込みに見えます。
右側の黒いラインは駐車場の区画のように思えますが・・・・。
草加さんに訊いてみました。
学校のプールだそうです。
水面に映り込んでいるのは、天窓で、黒いラインはコースの区画です。
正面壁面の「見えない水面No.3 」です。
画面のブルーは、プールの底の色ですが、光線によってその色相と明暗が変化します。
天窓が、プールの表面で浮いているような描画です。
右側壁面の「見えない水面No.1 」です。 天窓は、ステンドグラスのような模様が付いています。 一見教会の暗い天井を思わせますが、窓の形に歪みがあって、存在が不確かです。 |
入口横右の二点です。
コースのラインと窓の映り込みが重なっています。
漂うような窓と、水の底で揺れるライン。
光と水の作用が生みだした、光景です。
草加さんの表現は、物質と空間との境界である、表面や膜をテーマにしています。
今回は、水面(水の表面)です。
水は透明ですから、その表面を認識するのは、大概映り込みです。
風景や見ている自身の映り込みです。
しかし映り込みは、風景や自身の鏡像ですから、そこに遠近感が生まれます。
水面だけを見極めるのは、困難です。
又、水は接している容器(底)も映しだしますから、表面を認識するのは余計に難しくなります。
そこで、草加さんは水に指を入れて、水面を探りました。
ところが、指が水に触れたと思った瞬間、指先は水中に没しています。
視覚でも、触覚でも、水面は確認できません。
ところで、草加さんが描いているモノは何でしょうか。
「見えない水面」、です。
見えない水面を、描こうとしています。
なぜでしょうか。
水面の不可思議さは、絵画の不可思議さに似ています。
絵画は表面だけで成り立っています。
ですが、表面そのものは空白(不可視)として扱われます。
この二重性によって、草加さんの表現意図が浮き出てきます。
見えるものではなく、見えないものを描く。
つまり、絵画の本質である、表面性と描かれたモノの問題です。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展
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2005年藍画廊個展