藍 画 廊


多田布美子
TADA Fumiko

多田布美子展の展示風景です。



各壁面の展示です。



画廊入り口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の14点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に1点の展示があります。
作品はすべてアクリル絵具、綿布、テトロンを使用しています。
又、タイトルはありません。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面、左端の作品です。
サイズ465×390mmです。



左壁面、左から2番目の作品です。
1960×1400mmです。



左壁面、左から3番目、4番目の作品です。
左は420×330mm、右は930×745mmです。



左壁面、右端の作品です。
1720×1320mmです。



正面壁面、左端の作品です。
930×1230mmです。



正面壁面、右端の作品です。
1640×1360mmです。



右壁面、左端の作品です。
930×1180mmです。



右壁面、左から2番目の作品です。
2000×1320mmです。



右壁面、左から3番目、右端の作品です。
左右共に345×255mmです。



入口横壁面、左端の作品です。
390×285mmです。



入口横壁面、中央の作品です。
540×470mmです。



入口横壁面、右端の作品です。
1720×1360mmです。

<作家ステートメント>

それぞれの人が生きてきたことが
その人の奥深く 静かに息づいていると思う

現実世界で経験したことのわずかな痕跡が知らず知らずのうちに自分の内で小さな塊となり、毎日毎日意識もしないところで様々な記憶や感情の残した断片が堆積し続けている

表層の現象は人それぞれ違っても、その奥深くに潜むカタチはどこかで見たことがあるような遠い昔から知っていることのような、親しみのある、懐かしい、優しさも悲しみも全て孕んだもので、絵を描くということは、そんな風に静かに静かに存在しているみえない何かと繋がっている

多田さんの作品の構造を簡単に説明します。
画面は二重構造になっていて、表面はメッシュ状のテトロンが張られています。
その下にわずかな隙間があって、綿布のキャンバスが張られています。
上のテトロンにも下の綿布にもアクリル絵具で描画されています。
テトロンは半透明なので、二つのレイヤー(層)で構成された絵画ということになります。

モチーフは特にありません。
テトロン越しに画面を見ると、綿布の絵はそのままではボケています。
すりガラスやレースのカーテン越しに何かを見る感じです。
しかしテトロンに絵具を塗ると、ピント(焦点)が合ってきます。
双方の層を筆で調整しながら描くと、ボケた画面に部分的にピントが合った、不思議な絵が生まれます。


モニターの解像度の高い、精細な画像はライブで臨場感が高いとされています。
画面の高画質化は再現性への限りない欲望ですが、人間の心の奥深いところにあるものは朦朧とした曖昧なものです。
それを蓄積させながら生き、死に向うとき思うのは、その正体です。
それは当然ながら解像度で解ける問題ではありません。
ですから、テクノロジーの進化と人の生活とは無縁の関係にあります。
生が活きることとは、信仰のことでもあるのです。

絵画がテクノロジーに駆逐されて、選んだ道は信じることです。
少なくとも、西欧美術においてはある時期から神の関与がなくなり、何を信じるかが問題になりました。
その一つの解答が無意識の領域への探求です。
例えば、シュールレアリズムです。
そこに人間の本質があると、睨んだからです。

多田さんの絵画はシュールではありませんが、意識の下にフォーカスしています。
今や手垢のついた言葉かもしれませんが、本来の共有を探る仕事です。
わたしたちの視覚(見ること、見たこと)の原体験についての考察です。
そこから導き出さられるのは、生が活きることの原理であり、状態です。
そしてそれは、(多分)絵画に託された道だと思います。

ご高覧よろしくお願いします。

プライスリスト

2002年藍画廊個展
2003年藍画廊個展
2004年藍画廊個展
2005年藍画廊個展

会期

2019年4月1日(月)ー6日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内