吉田哲也展
未発表作品を中心に
YOSHIDA Tetsuya
吉田哲也展の展示風景です。
以上の5点が展示室の展示で、その他小展示室に5点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。
画廊入口から奥に向かって、1番目の作品です。
タイトル「Untitled 168」(トタン)でサイズ2×199×10mmです。
2番目の作品です。
「Untitled 102」(トタン・ハンダ)で19×125×77mmです。
3番目の作品です。
「Untitled 155」(トタン・ハンダ)で56×205×200mmです。
4番目左の作品です。
「Untitled 121」(石膏)で15×94×42mmです。
4番目右の作品です。
「Untitled 128」(針金)で2×79×10mmです。
小展示室の作品、5点です。<作家コメント>
朝起きて何もやる気がおこらず、とりあえずつけたテレビを、結局、深夜の放送終了まで見続けてしまった無気力な一日。
すぐ済むと思って始めた雑用が思いがけず長引いて、それだけで疲れてしまい、やらなければならなかった肝心なことは明日にまわしてしまった意志薄弱な一日。
そういう日々に対して、良いとか悪いとかの判断を下さず、反省もせず、ただそのままを自分の中に丸ごと受け入れるという作業をきちんとしていきたいと思います。
そうすれば、そういう日々の中にある美しいものを見つけることができるような気がします。
本当に美しいものは、そういう所にあるような気がして仕様がありません。本展は2005年に亡くなった吉田哲也さんの未発表作品を中心にした個展です。
上記の作家コメントは『MOT アニュアル 1999ーひそやかなラディカリズム』展のカタログに掲載された小文です。
生前、わたしは吉田さんと親しい関係にありました。
今を遡ること25年ほど前、吉田さんの個展を「ギャラリーなつか」で拝見したのが出会いでした。
トタンを使った、ちょっと和める開放的な作品は、わたしの好みでした。
もちろん、作品の出来も申し分ありません。
その控え目な表現もお気に入りでした。
それから、当時運営していた「西瓜糖」で個展を開催していただき、藍画廊でもお願いしました。
さほど頻繁ではありませんでしたが、プライベートなお付き合いもさせていただきました。
吉田さんの私生活は、今で言えば超アナログで、江戸時代の長屋生活を模範としているかのようでした。
趣味は落語に相撲に歌謡曲。
テレビ相撲中継の見逃し防止で購入したビデオデッキを、その電子装置ゆえに導入を心底後悔していました。
しかし、そのような私生活とはほど遠い洗練が作品にはあります。
いや相撲も落語も歌謡曲も洗練された芸能なので、言葉を変えますが、モダーンな雰囲気が作品にはあるのです。
作品はどこからどう見ても現代美術であり、それ以外の何者でもありません。
間違っても、日展や院展では絶対見れない代物です。
では私生活の趣味とは正反対のことをしているかといえば、これも違う。
作品の核心には相撲も落語も歌謡曲もあります。
そこに吉田さんの作品の秘密があります。
吉田さんの作品は彫刻であり、そのことに対する自覚がありました。
彫刻は西洋美術の流れであり、吉田さんの立ち位置は近代以降の作家です。
しかし作品は前近代を目指している。
この捩れ、矛盾が殊(こと)の外消化され、展示空間と共に提出されたのが、本展の彫刻の数々です。
(吉田作品と展示空間は分かちがたく結びつき、それが一体となって、はじめて作品と呼ばれます。)
作品は15年ほど前の制作ですが、その力は薄れるどころか、年々強さを増しています。
効率、スピードが優先される世情に、静かに佇む小さなトタンや針金の作品。
そこにあるのは、人の生活です。
野暮や進歩を嫌い、陽だまりや中庸を好み、それでも起立することを旨とした生活の有り様です。ご高覧よろしくお願い致します。
2001年藍画廊個展
「世界」2005 吉田哲也追悼展
「世界」2005 吉田哲也追悼展/テキスト
iPhoto「遺品」
2009年藍画廊個展会期
2016年12月12日(月)ー24日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内