2005年の「世界」展は吉田哲也さんの追悼展です。
誠に残念なことに、吉田哲也さんは本年一月に死去されました。
もう吉田さんの新作を観ることは出来ないし、吉田さんと話すことも出来ません。
宙に浮いたような気持ちをかかえて、このテキストを書き始めています。
吉田くん(ここからは「くん」付けで呼ばせていただきます)とは、幾つかの思い出深い会話があります。
その一つです。
五年ほど前だったでしょうか、吉田くんの個展の時でした。
わたしと吉田くんと共通の知人であったOくん(美術作家)の三人で、藍画廊の近くで食事をしました。
京橋の明治屋の地下のレストランです。
いつしか相撲が話題になりました。
Oくんが、相撲の八百長はけしからん、と言うのです。
吉田くんの趣味は相撲観戦で、相撲雑誌と中継ビデオを少なからず持っています。
わたしと吉田くんは反論しました。
相撲に八百長があっても良いではないか、と。
論点は相撲をスポーツと捉えるか、芸能と捉えるかです。
スポーツと考えれば、八百長はフェアではありません。
いわゆるスポーツマンシップから外れます。
正々堂々に値しないからです。
しかし芸能と考えれば、八百長は必ずしも不正ではありません。
勝負は相撲のベースですが、相撲界という世界の中にあるベースにすぎません。
それがすべてではないのです。
勝負を取り囲む様々な関係性も重要なのです。
星の貸し借りを表に出すのはタブーですが、それがある(かもしれない)のを承知で観るのが、相撲という芸能を観戦するということです。
相撲界の成立ちは芸能集団であって、アスリートの集まりではありません。
ここがオリンピック種目になった柔道との大きな違いです。
スポーツとなった柔道は、それ故に体重制となり、青い柔道着を拒めませんでした。
(相撲には、同部屋は対戦しないという、スポーツでは考えられない規則があります。)
結局、スポーツと捉えているOくんと、芸能と考えている吉田くんとわたしの話は交わらず、いつしか違う話題に移っていきました。
別に口論になったわけでもなく、仲の良い三人のちょっとした見解の違いで終わった話でした。
話題となったスポーツのバックボーンには、合理的な身体論があります。
そもそもスポーツは労働の余暇活動であり、近代的労働とペアで誕生しています。
労働と同じように、スポーツは無駄な身体の動きの省くことで発展してきました。
その進化に科学を導入しているのも、同じです。
吉田くんの作品世界は、近代的合理とは正反対の場所にあります。
近代的合理が無駄としたもの、それこそに美を見いだし、作品として具現化してきました。
美は特別なものでなく、何気ない日常の生活の中に潜んでいる。
それを掬(すく)い上げて、その美しさに心血を注いだのが、吉田くんの作品です。
■高さを持って立ち上がるもの(そして、それを見上げる)
■深さ(密度)のある表面
■中間的なもの 大きくもなく小さくもなく 強くもなく弱くもなく
■ズサンなもの、あるいはズサンを残したもの
4つのものを自然(日常)から受け取り、再構成することは
彫刻のイメージに近づくことになるだろう
彫刻の確かな力を手にしていくこになるだろう
吉田くんが1993年に制作した作品カタログに載せた文章です。
彫刻に対する考えを簡潔に述べたものです。
わたしの心に残ったのは、箇条書き後半の部分で、特に「ズサンなもの、あるいはズサンを残したもの」という一行です。
「ズサン(杜撰)」とはいいかげんなさまを形容する言葉で、否定的な使い方しかしません。
もちろん、吉田くんがズサンな作品を作ろうとしたわけではありません。
(吉田くんは作品制作においては完全主義者でしたから。)
では、どういう意味合いで「ズサン」を目指したのでしょうか。
朝起きて何もやる気が起きず、とりあえず付けたテレビを、結局、深夜の放送終了まで見続けてしまった無気力な一日。
すぐ済むと思って始めた雑用が思いがけず長引いて、それだけで疲れてしまい、やらなければならなかった肝心な事は明日にまわしてしまった意志薄弱な一日。
そういう日々に対して、良いとか悪いとかの判断を下さず、反省もせず、ただそのままを自分の中にまるごと受け入れるという作業をきちんとしていきたいと思います。
そうすれば、そういう日々の中にある美しいものを見つけることができるような気がします。
本当に美しいものは、そういう所にあるような気がして仕様がありません。
この文章も「視ることのアレゴリー」展(1995年セゾン美術館)のカタログに載せた文章です。
文中の無気力な一日、意志薄弱な一日、多くの方に心当たりがあると思います。
(性格的に怠惰なわたしなんかは、心当たりが山ほどあります。)
そういう時は、落ち込みますね。
自分のダメさ加減に、思いっきり自己嫌悪に陥ります。
そういう「ズサン」な自分も受け入れたい、と吉田くんは書いている。
どういうことなんでしょうか。
ちょっと、考えてみましょう。
「ズサン」な一日には、多分「ズサン」ではない一日と、違う空間と時間が流れているかもしれません。
わたし達は合理的に物事を進めるように教育され、出来るだけそれに添う生活しています。
ある意味で、それは機械的な生活です。
機械の正確で無駄のない動きを手本にした生活です。
それが時代(近代)にとって、最も合理だからです。
無気力な一日や意志薄弱な一日は、合理からの無意識の逃避です。
あるいは、そういった毎日が生みだした疲れです。
とりあえず付けたテレビを何とはなしに見続けていると、テレビの後ろの壁に染みがあるのを発見する。
丁度、昼下がりの柔らかい光線がその染みの下半分を照らしている。
光が微妙なコントラストを染みの周りに作りだし、わたしはそれに、つい見とれてしまう。
テレビの後ろの壁の染みは、普段の一日だったら、汚い染みでしかありません。
そのようにしか、見えないのです。
脱ぎっぱなしで、椅子に掛けておいたセーターとズボン。
だらしない光景ですが、ふと見ると、色の重なり具合と垂れ下がったラインが、妙に美しい。
これも、普段の一日では見えないでしょう。
ダラケた一日にそういう瞬間が訪れるとは限りませんが、美とは存外そういうものです。
理屈なしに、発見してしまうものなのです。
もしかしたら「ズサン」な一日は、直線的な日常を少し曲げる、人間的な一日かもしれません。
それを大事にしたい、本当に美しいものはそういう所にある、と吉田くんは考えていたような気がします。
吉田くんの作品は、大きく三つの時期分けられます。
第一が、1990年の初個展「ギャラリーなつか」以降のトタン板の大きな作品のシリーズ。
これはボリュームのある作品で、手を加えていないトタンをハンダで接合して組み合わせたものです。
吉田くんの作品の特徴である、開放的な空間が最も顕著な作品群です。
第二は、1993年の「西瓜糖」以降の、針金、トタン、釘などを使用した小振りな作品です。
第一が画廊で組立てる大きな作品ならば、第二はテーブルの上で制作された小さな作品です。
第二の作品は、素材を曲げたり、捻ったり、折り畳んだ、簡素でシンプルな作品群です。
第三は、1999年「藍画廊」以降のプラスター(石膏)の作品です。
作品は一段と小さくなりましたが、逆に作品空間は今まで以上に広がっています。
第二の時期から使用し始めた(自作)台座が、重要な要素になっています。
吉田くんの作品は、親しみがあります。
それは使用している素材が日常的なトタン、針金、釘、石膏などであり、それを「そのまま」使っているからです。
一般的に彫刻で使用される「立派な素材」を用いず、日用の素材を好んで使いました。
特に反芸術といったわけでもなく、日常の生活が作品のテーマだったからです。
フォルムにもそれが表れていて、複雑で熟練を要する様に見える表現はしませんでした。
シンプルな手の動きで形になったものがほとんどです。
これも親しみを覚える要因です。
それと、開放性です。
作品の形状は至極端正ですが、そこには必ず「ズサン」があって、自由な空間が生まれています。
意図的に隙(すき)が作られていて、それが見る者に安心感を与えます。
しかし作品には締まりがあって、この辺りが吉田くんの技量の高さであり、苦心だったと思います。
どの時期の作品も完成度が高く、その集中力は見事です。
個人的には、吉田くんとの出会いである大きなトタンの作品と、針金を使った作品が印象に残っています。
後者は、わたしが運営していた「西瓜糖」で最初に出品されました。
針金の作品は、西瓜糖の空間を考慮して壁掛けになっています。
西瓜糖は喫茶店を兼ねたギャラリーですから、客席があって、展示に制約の多い空間です。
この制約から生まれたのが、二本の針金をハンダで接合した小さな作品です。
二本の針金は、同じようにコの字に曲げられていますが、その線は直線ではありません。
真直ぐな針金を手で馴らして、細かく歪ませ(震わせ)たような線です。
二ヶ所のハンダ付けも不揃いで、手の痕跡がありありと残っています。
シンプルといえば、これ以上シンプルな彫刻もないでしょう。
この時の展覧会名は、「程々」でした。
程々とは適度のことですが、物事を適度にするのは意外に難しいものです。
足りないか、つい過ぎてしまう。
過ぎてしまうと、「ほどほどにしなさい」と戒められます。
「程々」とは中庸(ふつうであること)の大切さを意味しています。
針金の直線は、機械的(合理的)で過度な直線です。
そこで、吉田くんが過度に対置させたのは「ズサン」です。
針金の直線に微妙にクネッた「ズサン」を作って、そこから全体に「程々」を生じさせました。
作品がシンプルだけに、これは相当高度な技術です。
吉田くんの作品で留意しなければならないのは、展示空間との関係です。
展示空間の把握は、作品制作と同等の重さがありました。
作品と空間が結びついて、そこで初めて「程々」は生まれます。
(同様に、作品を置く台座の制作にも相当な神経を使いました。)
そのような絶妙な中庸を作り続けた仕事には、やはり感嘆します。
西瓜糖の個展前後の展覧会にはタイトルが付けられていて、「常温」、「中ぐらい」、「平信」となっています。
吉田くんの目指していた表現が、端的な言葉として表れています。
吉田くんの作品世界を喩えてみると、真円(正円)的世界ではなく、楕円的世界かもしれません。
手で描いた、美しい楕円。
それが作品コンセプトであり、目指すところであったと思います。
真円は人の手で描くことは不可能です。
それは、人間の観念が作った完全な形です。
吉田くんが作品にしたかったのは、そんな崇高さではなく、ふつうの生活、ありふれた日常です。
「ズサン」が含まれた、日常生活の中にある美しさです。
真円は無駄のないストイックな形です。
「ズサン」のカケラもありません。
生活でいえば、合理的で少しの破綻もない生活です。
吉田くんは、そんな生活はツマラナイと思ったに違いありません。
そんな生活に中に本当の美しさはない、と考えたと思います。
冒頭の相撲と同じように、吉田くんは落語を聴くのが趣味でした。
相撲と落語に共通するのは、その世界が近代以前に始まっているということです。
具体的には江戸時代が中心です。
これは吉田くんのお父さんから聞いた話です。
子供の頃に相撲見物に行った時、土俵よりも支度部屋に興味を持ったそうです。
力士は土俵に上がると日常から離れますが、支度部屋は日常が支配する空間です。
そこに吉田くんは興味を持って、熱心に見入っていたそうです。
落語も庶民の日常生活が舞台になっています。
近代以前の日常生活は、歴史や教科書で知ることが出来ます。
しかし、その知識、情報には何かが欠けています。
それを補ってくれるのが歌舞伎や落語で、とりわけ落語は日常の描写に優れています。
落語や時代劇映画の登場人物で不思議なのは、その人が何者か不明なことが多いことです。
先日ビデオで見た「真夜中の弥次さん喜多さん」の主人公、弥次さんと喜多さん。
この二人の職業が分かりません。
ブラブラしているようで、定職といったものには就いていないようです。
どうも江戸の町人というのは、今でいうフリーターが多かったようですね。
近代的道徳から見れば、行き当たりばったりな「ズサン」な人が沢山いたようです。
生活ぶりも、落語を聴くと「ズサン」な人が結構いますし、支配者だった武士も適当に仕事をしていたようです。
想像するに、江戸の日常は現代のような直線的合理ではなく、適度にユルかったようです。
(ついでにいえば、徳川幕府の管理も要所だけで、今の方がよほど管理がキツい社会です。)
「程々」がライフスタイルだったようです。
「ズサン」で適当が、日常のあちらこちらにあったと考えられます。
吉田くんの趣味趣向が作品にどの程度反映されているかは、分かりません。
分からないけど、「日々の中にある美しいもの」を見る目は、育まれたに違いありません。
吉田くんは彫刻を作っていました。
「立派な彫刻」を作ろうとしないで、日常をテーマにした彫刻を作り続けました。
日常とは、無意識の行動の流れです。
当の本人に訊いたとしても、その行動の源は確(しか)と説明できません。
そんな日常に分け入って、人間らしさを追い求めました。
それは想像以上に困難な仕事です。
でも、美しいものはそういう所にあると信じて、その道から逸れませんでした。
日常の美しさとは、生活の美しさです。
生活とは、生きることです。
吉田くんは、生きることの美しさを作品に込めました。
端正な形に、開放と温かさを込めました。
「ズサン」の大切さを、一生懸命作品に込めました。
作品は世界となって、わたし達の前にあります。
ご高覧よろしくお願いいたします。
iGallery企画 「世界」2005
吉田哲也追悼展
YOSHIDA Tetuya
<既発表作品と未発表作品>
2005年12月5日(月)-12月17日(土)
日曜休廊
11:30-7:00pm(最終日-6:00pm)
会場案内
追記:吉田哲也くんの作品については、iPhoto「遺品」でも触れさせていただきました。
併せてご覧いただければ幸いです。