iPhoto



遺品


美術作家のYくんが突然亡くなったのは、今年の初めでした。
彼と最初に会ったのは1990年で、いつの間にか15年の月日が経っていました。
その時わたしは知己の作家のUくんの個展を見に行き、たまたま同じ画廊の隣接した会場が彼の初個展でした。
(後で尋ねると、UくんとYくんは同窓の先輩後輩の仲でした。)

Yくんの作品はトタン板を使った大きな立体で、中心にカメラのレンズのような円筒が突き出ていました。
わたしは彼の作品に魅かれて、しばらく作品の前で眺めていました。
帰り際に姿を見せたYくんは、わたしに会釈し、わたしも会釈を返しました。
お互い作品について何かを語りたかったのですが、丁度開いたエレベーターでその機会を逸しました。

暫くしてから付合いが始まり、無理をお願いして西瓜糖でも個展をしていただきました。
わたしとYくんを結びつけたのは、恐らく彼の初個展の作品の表情です。
その後の作品の完成度に比べると初々しさが残る作品でしたが、Yくんの資質が良く出ていました。

今年の夏、Yくんの実家を訪ね、Yくんがロンドンで求めた遺品を見せていただきました。
Yくんは一昨年イギリスに留学した折り、アンティークショップが集まっている地域に住まいを定めました。
そこで数多くのオモチャや食器を購い、自室に飾って、帰国時に船便で日本に送ったそうです。


オモチャや食器の一部です。
反対側(向かって右側)にも沢山置かれています。
オモチャや食器の他、大小の家具もありました。
(大きな家具は別室に置かれていました。)


遺品が飾られていた部屋は六畳ほどの広さで、整頓されていても「オモチャをひっくり返したような」楽しさがありました。
わたしはご家族の許可を得て、遺品のオモチャの撮影を始めました。
どれから撮っていいのか迷いましたが、目に付いた乗物のオモチャにフォーカスして、撮影を開始しました。



オートバイに乗ったペンギンです。
グリーンに着色されたプラスティックで、前輪はレンズ(虫眼鏡)になっているようです。
商品のオマケのようなオモチャですが、Yくんはチープな素材を好んで制作に使用していました。
トタン板や針金に、思いがけない表情を取り出すのが巧みな人でした。



木製の軍艦です。
素朴なオモチャですが、Yくんの後期の石膏の作品を彷彿させます。
Yくんが、店でこのオモチャを手に取って眺めている様子が目に浮かびます。



ブリキ製のヘリコプターです。
羽根の部分が小さい、機動性を重視したタイプのヘリコプターですね。

わたしが小学生の時、校庭に一機のヘリコプターが着陸し、全校生のうち生徒会長一人が選ばれて乗り込みました。
どのような行事だったのか忘れましたが、羨ましさだけを憶えています。
そんな記憶とこのオモチャは重なります。
地上から離れて、空から見る街。
その視点を望む嗜好が何から来ているのか分かりませんが、今でも引きずっています。
(そういえば、大好きなティム・バートンの映画のオープニングの多くは、模型製の街並みの空撮です。)


飛行機、です。
これも素朴な造りのプロペラ機です。
左は照明用具でしょうか。
右は大きな磁石です。

子供にとって、空を飛ぶことは自由を表します。
子供は、自由自在に空を飛ぶことを夢見ます。
この飛行機は戦闘機か偵察機かもしれません。
いつもは編隊を組んで飛んでいますが、そこから離れて自由気ままに進路を取る。
そんな想像をさせる、飛行機です。




最後は、自動車です。
アメリカ製のステーションワゴンですね。
1950年代か60年代のアメリカ黄金期の自動車です。
ツートーンの色合いがステキです。

Yくんの作品は、渋い色調のオブジェが主でした。
手作りのライン(線)を尊重した、どちらかといえば寡黙に見える作品でした。
淡々と過ぎゆく日常に存在する、美しさを表したような作品でした。

彼は自分がビデオデッキを買ったことを後悔するような、ハイテクとは正反対の人でした。
相撲と落語が趣味で、昔の日常を愛した人でした。
Yくんの作品の核にあるのは、そんな昔の日常が持っていた美しさです。


Yくんがイギリスで大量のオモチャを購入したことを奇異に思う方もいると存じます。
一般的に思われている彼の作風とは接点がないからです。
しかし、これらのオモチャを見ていると、わたしにはYくんの作品との繋がりが見えてきます。
素材や形状の類似を発見した後で、オモチャが発する空気と彼の作品の共通点に気が付きます。
わたしが最初に見た彼の作品で魅かれたのは、その共通する自由な空気だったと、今になって思います。

オモチャが触発する自由で無限の想像力。
Yくんの作品には、隠し味のように、それがあったのでした。