藍 画 廊



川田夏子展

KAWADA Natsuko

川田夏子展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、タイトル「無題」でサイズ27.3(H)×45.5(W)cm(M8)、「無題」で22.7×15.8(SM)、「水は茫茫 花は紅 07」で100.0×72.7(P40)、「空空11」で16.0×27.3(M3)です。



正面の壁面です。
「水は茫茫 花は紅 06」で130.3×89.4(P60)です。



右側の壁面です。
左から、「無題」で33.3×24.2(F4)、「空空12」で19.0×27.3(P3)、「空空13」で33.3×53.8(M10)、「無題」で27.3×41.0(P6)です。



入口横の壁面です。
左から、「空空15」で16.0×27.3(M3)、「無題」で18.0×14.0(F0)、「空空14」で15.8×22.7(SM)です。

以上の12点が展示室の展示で、その他小展示室に2点の展示があります。
作品はすべて雲肌麻紙、岩絵具を使用しています。



左壁面の左端の「無題」です。
前回の個展では色彩の導入と地と図の融合が計られましたが、今回はそれを一層押し進めた感があります。
画廊に入ると、その柔らかな明るい色彩に包み込まれますが、上のような暗色の作品が程よいアクセントになっています。



左壁面の「水は茫茫 花は紅 07」です。
このタイトルの意は、「水はたださらさらと流れ、花はただ赤く咲いている」で、無心の境地の自然観を表しています。
そのタイトル通りの情景を彷彿させる画面です。




左壁面の「空空11」です。
この小さな作品が内包している世界はとてつもなく広く、深い。
地と図が融合して、何もない(=満ち足りた)空間を作っています。


正面壁面の「水は茫茫 花は紅 06」です。
自然そのものの有り様を描いていますが、ここには自他の区別がありません。
あるのは、自然の流れだけです。



右壁面の「空空12」です。



右壁面の「空空13」です。
空空(くうくう)とは仏語で、宇宙間の一切の存在はすべて空であり、その空であるという道理自体も空であるということです。



右壁面の右端の「無題」です。
この鼠色の作品は、他の作品と比べると、地と図の関係が若干違う印象を受けます。



入口横壁面の「空空15」と「無題」です。



〈作家コメント〉

紙の上に絵の具や色が「在る」けれども、あるのかないのかわからない。
すべてがなにもない「無」のようだ
けれども、ほんとうは目の前に変わらずに「ある」。
それを「かいて」、「みる」ことをしばらく続けています。


豊かな色彩です。
不明にも日本固有の色名を知りませんが、紛れもない日本の色です。
淡く、艶やかで、清々しい色の数々。
それに、まず包み込まれます。

地とそこに描かれているのは、繭の形をしたような図だけ。
しかもそれらは何を主張するわけでもなく、ただそこに在るだけです。
在るということ以外の意味を持たないその存在は、もしかしたら無いかもしれない。
無いかもしれないけど、やはり、そこには在る。

言葉遊びではありません。
存在に関する深い思考が、川田さんの絵にはあります。
しかしそれは難解でも何でもなくて、ごく自然に表出されています。
無理がなく、「絵」は描かれています。

川田さんの絵を見ていると、反語として、我(われ)という言葉が頭に浮かびます。
絵は自己主張ですから、我がないと描けません。
しかし川田さんの絵は、我を消す方向で描かれています。
それはあたかも「水はたださらさらと流れ、花はただ赤く咲いている」ように、我を存在させています。

透明感のある優美な「絵」です。
控えめで、押し付けがましくもなく、思慮深い。
それでいて、「絵」は強い。
いつまでも、眺めていたい「絵」です。

ご高覧よろしくお願い致します。

2002年藍画廊個展
2004年藍画廊個展
2008年藍画廊個展
2010年藍画廊個展


 

会期

2012年12月3日(月)ー12月8日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



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