金井聰和展
つぶ と つぶて
KANAI Toshikazu
金井聰和展の展示風景です。
金井聰和展は19点の陶(セラミック)の作品で構成されています。
作品の詳細をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側壁面、左端、左から2番目の作品です。
左はタイトル「つぶと卵」で、サイズ218H)×8(W)×5(D)cmです。
右は「つぶの軌道」で17×12×6cmです。
左壁面、左から3番目、4番目、右端の作品です。
左は「つぶの塔」で38×7×7cm、
中央は「骨とつぶ」で31×7×5cm、
右は「つぶの庭」で18×14×7cmです。
正面壁面、左端、中央、右端の作品です。
左は「銀の骨」で32×7×5cm、
中央は「つぶの輪」で16×15×4cm、
右は「アムリタの庭」で22×19×8cmです。
正面壁面、エアコン下の作品です。
「みつぶ」で29×9×9cmです。
右壁面、左端、左から2番目、3番目、右端の作品です。
左から「つるぎ」で21×18×5cm、
「骨の庭」で30×9×8cm、
「からから」で21×12×6cm、
「つぶ と 樹」で10×11×8cmです。
カウンター上の3点です。
左から「四つ足」で16×6×6cm、
「つぶ景」で18×13×13cm、
「つぶとしずく」で22×17×14cmです。
フロア(床)の作品3点です。
左は「あたま と つぶ1」で18×18×16cm、
中央は「あたま と つぶ2」で16×16×13cm、
右は「アタマヤマ」で33×19×15cmです。<作家コメント>
かつて笛吹川の河原では、近隣の子供たちによる石合戦が川を挟んでさかんに行われていたという。
無数に飛び交う「つぶて」は、原始の戦争や降り注ぐ隕石と重なり、眠っていた闘争本能や想像力を刺激される。
20年程前、民俗学者の中沢厚の本でその事を知って以来興味を持ち続けてきたが、その現場近くでの今回の展覧会は、嬉しくもあり何か試されるような心持ちでもある。
ここはひとつ腹をくくり、幻の「つぶて」に参戦したいと思う次第です。戦国時代の戦(いくさ)には石合戦が実際にあったそうです。
武田信玄は石礫隊(投石衆)を組織して実戦で活躍したという伝えもあります。
子供の石合戦はそれを模したもので、端午の節句などでも行われました。
そのような礫(つぶて)の源流を探っていくと、石を投げることは武器に限られていなかったようです。
古(いにしえ)には石が飛ぶのは仏の意思であるという認識が社会の根底にありました。
石には霊力のようなものがあって、悪霊退治などに使われていました。
だから祭事として、河原での石投げ=印地も盛大の行われていたそうです。
一種の喧嘩祭で、大の男が二手に分かれて石を投げ合う危険なものですが、祭りとは元来そういった要素を含んでいるので特に不思議な感じはしません。
画廊に展示された陶製の「つぶ と つぶて」、礫の来歴を表すようにバラエティに富んでいます。
武器のようなもの、神具のようなもの、装飾品のようなもの。
どこか古代の薫りがありながら、今様にエレガントで洗練されている。
生と死が入り混じったような、あるいは原始と原子が結びついたような、時空を超えた美品の数々です。
さて、礫。
思い出すのは騒乱の60年代末。
線路の石や道路の石を剥いで投げた学生たち。
あれは石投げの伝統(世直し)に連なるものだったのかもしれません。
いつの時代も武器なき衆は礫を投げる。
ふとそんな感慨さえも湧いた、金井さんによる多様な「つぶ と つぶて」の展示でした。
ご高覧よろしくお願い致します。2004年藍画廊個展
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金井聰和展 「つぶ と つぶて」
会期:2019年5月23日(木)〜6月9日(日)
開廊日:木・金・土・日
時間:12:00〜18:00
会場アクセスと展覧会スケジュール