太田武志展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面方向です。
次は、左側の壁面方向です。
立体作品の展示ですが、上の画像では何がどのように展示されているのか分かりませんね。
もう少し作品に近づいた画像でご説明します。
沢山の輪(リング)が空中に浮いています。
もちろん輪が単独で浮游しているわけではなく、輪を支持しているものがあります。
輪は縦で一組になっていて、上から下に行くに従い大きな輪になっています。
組数は全部で10あり、作品タイトルは「もうひとつのとき6」から「もうひとつのとき15」までです。
大きさは90π×5mmです。
作品の仕組みについて、もう少し書いてみましょう。
輪を支持しているのは透明なテグス(釣糸)で、天井から床に、一作品につき三本張ってあります。
三本のテグスを輪の内側に通し、張ってあるテグスの張力を利用する形で、輪はテグスの外側に張り付くように留まっています。
では、輪の正体は何でしょうか。
白いプラスティックケースに収められた一組の輪です。
実際の展示では、中心の小さな輪が最上にあり、一番外側の大きな輪が最も低い位置にあります。
この輪は、檜の年輪です。
輪と輪の間の空白は、太田さんによって切り取られています。
つまり、一つの輪が一年ですから、一年置きの年輪ということになります。
取り除かれた空白の一年は、展示で輪と輪の間の空白として現われます。
下方向からの撮影ですが、輪が上から下へと大きくなっているのが分かりますね。
輪と輪の間の空白の距離は、テグスの張力の調整によって変わってきますので、可変です。
ここで太田さんの記したテキストを掲載いたします。
展覧会初日の日付で、タイムリーな話題が中心になっています。
借景としての台風
台風が発生し、来て、過ぎる。
台風が大気の質を変える。
より狭いところへと、わたしは追い込まれていくように感じる。
空間の広がりではなく、むしろ空間の縮みようなものを感じる。
台風が過ぎされば一転、空間は広がっていく。
今日は朝から次々と旅客機が空へと飛び立っていった。
同じ一つの空間なのに、・・・・・・・・。
すでに見た台風とまだ見えぬ台風。
時間の違いが空間を生むのか、空間の違いが時間を生むのか。
そんなこととして「いま」「ここ」を思う。
平成19年7月16日
太田武志
左壁面の展示の様子です。
こちらはタイトル「時隙e-1」から「時隙e-10」までの10の作品の展示です。
各作品のサイズは200(W)×100(D)×30(H)mmです。
形状は太田さんの過去の作品の延長上にありますが、タイトルの通り、時の隙をテーマにしています。
素材は輪の作品と同じ、檜を使用しています。
作品タイトルと同じ題名のテキストがありますので、これも掲載いたします。
「時隙」
ランドスケープとわたしの関係において、空間で最も近いところに位置するのが「ここ」である。
わたしは「ここ」を捉えようとするとき、意識の中である境界までの距離を測り、そこからもう一度ここまでの距離を測る。
それを繰り返す。
境界はある時は遠く、ある時は近い。
幾重にも境界があるようであり、1つの境界が振動しているようでもある。
境界の周辺で空間は生まれては消え、消えては生まれる。
その時間的な重なり(堆積、沈殿)を内包するものとしてランドスケープは確認される。
ランドスケープの側から見ると(私以外に属する場から見ることができるなら)、空間は生まれたり消えたりするのではなく、そこに留まり(淡々と)空間の重なりを生成する(だけである)。
「ここ」とは時間的に解体されたランドスケープなのかもしれない。
時間を解きほぐすと重なりも解かれ空間の隙がそこに現われる。
その隙に立つことができるなら、具体的な「ここ」を捉えられるような気がする。
2007年4月17日
太田武志
画廊に入ると、無数の輪(リング)が空中に浮遊しています。
しばらくすると、輪にはそれぞれ属する集団があって、あたかも樹のように林立しているのが分かります。
そして、輪が樹の年輪の一部であり、輪と輪の間が空白の年輪であることが分かると、俄然面白くなります。
それは観念的な面白さというより、視覚的な面白さです。
空白の一年という時が、文字通り、空白として存在している。
その空白の見え方です。
残念ながら、その面白さは画像では表現することができません。
実際に画廊で見てみないと分かりません。
空白は、輪と輪で区切られています。
その間が、ある時間であり、しかも空間です。
ここでは時間と空間の区別がなく、一体となって存在しています。
しかも、その時間なり空間なりを特定するものはなく、ただ空白として在る。
いわば、抽象的な時間と空間が、そこに在るのです。
目を凝らしても、そこには何もありません。
しかし、時間と空間の実態が、確かに在ります。
この体験が、とても面白い。
それも、隙(すき、すきま)のような状態で、在ります。
これは眼の錯覚というより、人間の認識の在り方、不確かさが生んだ、隙のようなものではないでしょうか。
「いま、ここ」は、すべての出発点です。
わたしたちの思考や行動は、すべて「いま、ここ」を基準にして行われています。
その出発点の構造は、意外に複雑で、一筋縄では行きません。
なぜなら、主体(わたしのことです)は常に動いていて、「いま、ここ」には留まれないからです。
だとしたら、客体(ランドスケープです)を解くことで、隙を見つけることができるかもしれない。
隙というのは空白のことで、在るのに無いと見なされる空間です。
その曖昧な隙にこそ、「いま、ここ」の秘密があるに違いない。
そう確信した太田さんの試みとは、隙の視覚化であり、実在化です。
そこから「いま、ここ」を照らし出す行為が、太田さんの作品だと思います。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2002年藍画廊個展
2003年藍画廊個展
2004年藍画廊個展
2005年藍画廊個展
2006年藍画廊個展
「時隙」作品シリーズ画像一覧