太田武志展の展示風景です。
壁面に小さな立体が等間隔で設置されています。
立体は楠を彫ったもので、アクリル絵具で周囲が彩色されています。
各壁面ごとの展示をご覧いただきます。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。 正面に四点、右側には二点(一点は下の画像で見られます)の展示です。 |
|
入口横右の壁面の展示です。 三点の展示です。 |
|
左側の壁面の展示です。 五点の展示です。 以上十四点が画廊内の展示で、その他芳名帳スペースに一点の展示があります。 |
作品のサイズは、55(H)×130(W)×150(D)mmが中心で、縦横厚みがそれから約10mmの幅に収まっています。
作品のクローズアップをご覧下さい。
作品の形状は前回と似ていますが、材質がカツラから楠に変わり、周囲がアクリルで彩色されています。
形状は湖や沼、及び海岸線のように見え、彩色によって「境界」が強調されています。
ここで、太田さんが制作前に記した作品コンセプトを掲載します。
「記憶の向こうへ」記憶の先に立ち記憶に向かうこと。
記憶の中の空間。
その最遠部に境界領域があり、空間に形を与えている。
逆に、そこから自己の位置が規定される。
境界に向かい境界から自己に向かう。
これが「境界から」で確認したこと。
「2つの境界」は、「境界には向こう側がある」ことを思考するために、境界のどちらにも属さない、いわば境界の空隙に立つことへの試みだったように思う。これまで制作を通して、「記憶」を頼りに対象の存在するところについて、あるいは対象について思考を展開してきた。
その「記憶」にも恐らく向こう側があり、そのことについて思考することが、私の関心である「対象性」について新たな側面を露顕させることになるのではないかと思う。記憶は忘却に形を与えられる。
記憶の外に忘却はあり、記憶の先とは忘却の中にあるのかも知れない。太田武志
(追記:制作後に書かれたテキスト「記憶の先へ」は画廊で読むことが出来ます。ご興味のある方は画廊に置かれた作品ファイルをご覧下さい。)
前半は前回個展までの制作についてで、後半が今回のコンセプトといえます。
「記憶」がテーマになっていますが、ここでも「境界」に軸足を置いています。
記憶と忘却の、「境界」です。
太田さんはなぜ「境界」に固執するのか。
個人的感想を少し書かせていただきます。
最近、古井由吉の「辻」という連作短編小説を読みました。
辻とは十字路のことで、人の生涯は辻に出会うことが何回かあります。
そこで誰かと出会い、別れ、道に迷うかもしれない。
交差で何かが生まれたり、失われる。
辻とはそういう場所ですが、ここは「境界」でもあります。
生と死の、「境界」です。
これは喩えの話ではなく、道祖神などが辻に祀られているのはご存知かと思います。
「境界」とは一つの領域の消滅ですから、辻は生の消滅する地点で、死の領域の入口です。
古井由吉の「辻」は、生と死、過去と現在、未来が交差する物語です。
太田さんの関心は、今ここに存在する自己や事物です。
それを確認する為に、「境界」を設定し、その向こう側を探ります。
今回のテーマでいえば、記憶と忘却です。
記憶は忘却に形を与えられる。
太田さんのこの言葉は、生と死にもそっくり当てはまります。
生は死によって形を与えられる。
つまり、死の存在がなければ、人は生を実感できないのです。
「境界」とは、その交わる地点で、どちらの領域にも属していて、しかも属さない特殊な場所だと思います。
ご高覧よろしくお願いいたします。