井川淳子展
いつか私は(リプライズ)
IKAWA Junko
井川淳子展の展示風景です。
各壁面の展示です。
画廊入口から見て、左側、正面の壁面です。
右側、入口横の壁面です。
小展示室を挟んだ展示です。
以上の6点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。
作品はすべてゼラチン・シルバー・プリントです。
作品の詳細をご覧下さい。
左壁面、左端の作品です。
タイトル「その重荷を背負え」でサイズ900×1125mmです。
左壁面、右端の作品です。
「その重荷を背負え」で900×1125mmです。
正面壁面の作品です。
「いつか私は(天国篇5歌)」で406×508mmです。
右壁面、左端の作品です。
「いつか私は(天国篇31歌) 」で406×508mmです。
右壁面、右端の作品です。
「アトラス」で900×1125mmです。
入口横壁面の作品です。
「その重荷を背負え」で406×508mmです。
<作家コメント>
あの白は何だろう。あれは黒でもあったのだ。
一体何に触れたのだろう。とても軽くて、重かった。
見慣れていたはずの事物は、同じ姿のまま、別の位相で現れる。
それはやってきて、去ってしまう。美術に限らず、作品には凡庸なものとそうでないものがあるように思います。
ここでは凡庸は平凡、つまり既視感があって刺激に乏しいものを指します。
説明に過ぎるものも凡庸で、肝心なのは作者の見ている世界の有り様そのものです。
井川さんの作品には説明がありません。
雲のような、雪のような、綿のようなもののクローズアップがあるだけです。
それと、ボッティチェリの画集『ダンテの神曲』(天国編)のページを不鮮明に撮影したもの。
しかし被写体に不案内でも一向に構いません。
(ダンテの叙事詩を一行も読んでいなくても、鑑賞にはまったく差し支えありません。)
なぜなら、そこには井川さんの見ている世界が十全に表されているからです。
写真の画像にあるのは、リアルな何かです。
そのリアルが何であるのかは、今のところ、わたしにはわかりません。
ただその存在が世界そのものであるような気がするのです。
それが井川さんの生に必要であるように、わたしにも欠かせないものであるように思えるのです。
表現力とは、文字通り見ているものを表す力です。
凡庸でない作品には過剰とも思える表現力が備わっています。
一切の妥協を排して、細部の細部まで神経を届かせ、世界を余すところなく描く力です。
表現力とは並外れた特殊な技術のことではなくて、意図(視点)のトータルな実現です。
それが、凡庸ならざる井川さんの作品を支えている基盤(ベース)に他なりません。
画廊には7点の写真作品がほど良い間隔で空間に溶け込んでいます。
ただそれだけですが、見ると言う体験がとても新鮮に感じます。。
ともすれば実験室のようなクールなホワイトキューブが、なぜか親密に、作品と共に語りかけてくるのです。
ご高覧よろしくお願い致します。<本ページの画像データは井川淳子/向井三郎さんの提供です。>
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2021年2月22日(月)ー27日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
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