藍 画 廊



井川淳子展
バベル
IKAWA Junko


井川淳子展の展示風景です。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、作品タイトル「バベル」で、作品サイズ40.6(H)× 50.8(W)cm、「アトラス」で40.6 × 50.8、「アトラス」で40.6 × 50.8、「バベル」で82.7 × 102.3です。



正面の壁面です。
左から「バベル」で82.7 × 102.3、「アトラス」で40.6 × 50.8、「アトラス」で27.9 × 35.6です。



右側の壁面です。
三点共タイトル「バベル」で、サイズも82.7 × 102.3の同サイズです。



入口横の壁面です。
左から「バベル」で40.6 × 50.8、「アトラス」で40.6 × 50.8です。

以上の12点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に1点の展示があります。
作品はすべてゼラチン・シルバー・プリントです。



左壁面の「アトラス」です。
写真(ゼラチン・シルバー・プリント)は黒い額縁で額装されていますが、画面は土の様子を撮影したもののようです。
この土は井川さんのお宅の庭のもので、庭の風景を撮影した作品には「アトラス」という共通したタイトルが付けられています。
アトラスとは地図帳といった意味です。


同じく左壁面の「バベル」です。
「バベル」は16世紀の画家ブリューゲルが描いた「バベルの搭」を用いた作品シリーズです。
「バベルの搭」は油絵ですが、その画集図版を大量(170枚ほど)に紙にモノクロコピーして、構成したのが「バベル」シリーズです。
本展の展示室は「アトラス」と「バベル」という二つのシリーズで成立っています。



正面壁面の「バベル」です。
大量にモノクロコピーされた「バベルの搭」が、異なる構成で撮影されているのがお分かりかと思います。
このアイデア(という軽い言葉は不適当ですが)は、とても刺激的です。
無数の「バベルの搭」が、それこそ崩れるように展示されています。



正面壁面の「アトラス」です。
井川宅の庭の雑木林でしょうか。
何気ない風景を切り取っていますが、「バベル」同様の制作の綿密さが作品の背景にあります。



右壁面の「バベル」です。
すべてが崩れ落ちたような光景です。
これはわたしの想像ですが、「バベルの搭」のコピー紙を使った構成(一種のインスタレーション)は、相当な時間をかけていると思います。
なぜなら、見えないような細部にも神経が行き渡っているからです。
紙の配置から始まって、微妙な光の案配まで。



最後は小展示室の「アトラス(ネガ・アミナダブ)」(27.9 × 35.6)です。
これはモーリス・ブランショの小説の文字をパソコンに入力し、それを反転(ネガ)させて撮影したものです。
井川さんの以前制作していた文字シリーズに連なる作品ですが、宇宙的、哲学的な印象を与える作品です。


井川さんはもともと紙で立体作品を作っていた作家です。
その時も普通では考えられないようなやり方で、作品を作っていました。
そしてある日突然(と思えるように)、写真を撮り始めました。
そして出来上がった作品も、紙の作品同様、通常の写真作品とはまったく異なるコンセプト、様相を呈していました。

まったくもって、井川さんとは、変わった美術作家です。
もちろん、それは良い意味ですが、その発想のユニークさというか、オリジナリティには脱帽します。
しかも作品の完成度が高く、細部を絶対に疎かにしません。
視覚表現の何たるかを弁(わきま)えている人だと思います。

ブリューゲルが描いた「バベルの搭」は聖書に題材を取っています。
聖書の解釈には諸説あるようですが、一般的には、人間の傲慢を戒めています。
井川さんの「バベル」のカオスにも、そういった批評性を感じます。
しかしそれ以上に伝わってくるのは、ある種の途方もなさです。
それは、人間の内宇宙ともいうべき拡がりの、言い様もない途方もなさかもしれません。

「バベル」の途方もなさを見ていると、一見静粛な「アトラス」にも、途方のなさが見えてきます。
それは種類の違うものかもしれませんが、風景は途方もないものを含んでいます。
「バベル」と並ぶと、単独で見る以上にそれを感じます。

井川さんは家の内と外という区分けで「バベル」と「アトラス」を制作しています。
文字通り、人の住む家とその外の庭、つまり大まかにいえば、人間と自然という分け方です。
そしてその二つを並べることで、トータルな生を描こうとしています。
自然と人間を比べれば、自然の大きさ、人間の卑小さはいうまでもありません。

しかし人間というものも途方もないものです。
井川さんの作品を見ていると、そう思います。
それと同じように、井川さんの撮った自然にも、普段は気がつかない途方もない何かを感じます。
途方もなさは、画面の中で美しさとして結実しています。
そして、井川さんはその途方もなさの先を見ているような気がします。
生というものの不可思議さを、見ているような気がします。

ご高覧よろしくお願いいたします。

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2004年藍画廊個展


会期

2010年2月1日(月)-2月6日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


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