藍 画 廊


瀬古徹展
Release,release
SEKO Toru


瀬古徹展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て 左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の15点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。
展示室の作品はすべてボード、キャンバスに油彩です。
作品を1点ずつご覧下さい。



左壁面、左端の作品です。
タイトル< a board no.144 >でサイズ208×127×64mmです。



左壁面、左から2番目、3番目、右端の作品です。
左は< a board no.158 >でサイズ223×138×66mmです。
中央は< a board no.155 >で230×121×67mmです。
右は< a board no.154 >で228×116×67mmです。



正面壁面、左端と右端の作品です。
左は< a board no.153 >で147×136×62mmです。
右は< a board no.146 >で186×161×66mmです。



右壁面、左端と左から2番目の作品です。
左は< a board no.152 >で217×129×66mmです。
右は< a board no.145 >で171×147×67mmです。



右壁面、左から3番目と右端の作品です。
左は< a board no.151 >で264×21×28mmです。
右は< a board no.148 >で211×99×59mmです。



入口横壁面、左端と左から2番目の作品です。
左は< a board no.157 >で148×138×62mmです。
右は< a board no.156 >で160×145×63mmです。



入口横壁面、左から3番目、4番目、右端の作品です。
左は< a board no.147 >で131×103×95mmです。
中央は< a board no.150 >で78×44×68mmです。
右は< a board no.149 >で82×42×71mmです。


Release,release


中学生の頃、美術の教師であった叔父と叔母から、手づくりの絵具箱に入った油絵セットをプレゼントされた。それが私の油絵初体験であった。始めの頃は、油絵の色がよくわからず、カンヴァス上に闇雲に色を並べていたことを思い出す。
あれから何十年も経った。しかし「絵の色」がわかったことなど一度もない。

私は「描いて」いない。
確かに絵具や筆を使ってはいるが、決して「描いて」はいないのだ。
象徴的で、理性的な色彩は扱えなくなってしまった。むしろ「絵具を使う」ために色彩を扱っているような本末転倒の居心地の悪さがある。
私は支持体を自ら作成するところから制作を始めるのだが、描画段階に入るといつもその丁寧なものづくりを否定するようなヒステリックな行為を行う。塗り、削り、汚れた手でいじくりまわし、転がしておく。幼い頃にあった訳のわからない苛立ちに似たような感覚に襲われながら。

こつこつとつくる、ということとは別の方向に進むべきなのだ、きっと。

矛盾も引きずっている。
ものを扱っていながら、その重量を減らし、物理的なことから解放されたいと願う。本来ならば、「薄っぺらな板切れ」の存在で、日常に参加したいだけなのだが・・・。

だが唯一確かだと思われるのは、情動まみれの作品を他人に見せるにはこの物理的サイズが精一杯であり、籠った熱を冷ますためにこの余白が必要なことを、私は体感的に知っているということだ。

20161121 瀬古 徹

いつ頃からだったのか、現代美術は何でも有りになりました。
作家が作品であると宣言すれば、どのような形式であっても現代美術になります。
もちろん作品に現代性がなかったり、質が劣れば無視されることは言うまでもありません。
前者の境界線は曖昧ですが、厳としてあるのは間違いないことです。

絵画という形式はとても古く、歴史のあるものです。
多種多様な表現形式にあふれている現代でも、絵画にこだわる作家は少なからず存在します。
瀬古さんもその一人だと思いますが、コメントを読むと、結構複雑です。
愛憎半ばで、絵画と相対している感じです。

前回は物質性に富んだ、絵画と彫刻を横断したような作品でした。
展示も壁に立てかけるという、独自の方法でした。
今回は絵画に大きく振れて、古典的とも思える表情も見せています。
わたしはどちらも面白いと思いますし、その展開そのものが瀬古さんらしいと考えています。
螺旋状に作品が変遷していて、軸そのものはまったくブレていないからです。

作品は、一見すると絵画部分とそれを支えるボックス部分に分かれているように見えます。
しかししばらく観察していると、全体として一つの表現を形成していること気が付きます。
あるいは名付け難い、作品そのものとして存在しているかのようです。
絵画に言及しながら、メタ絵画とも思えず、不思議なポジションにある作品です。
そのような意味では、前回とまったく同じです。

壁面からグッと突き出た形体は幾分奇妙です。
何か見慣れないものを見たような感触です。
絵画であり、絵画でないような、落ち着きのない気分です。
眼が慣れてくると、これは絵画という枠にありながら、絵画を逸脱しているという、矛盾した作品に思えてきます。
その矛盾が妙に気持ち良くなってくるのは、作品の説得力、完成度の高さなのか、それとも瀬古さんの感覚なのか。

瀬古さんの世代の優れた作家に共通するのは、展示空間の使い方です。
本展も作品と作品の距離が絶妙であり、壁面と作品の関係が良好です。
見やすいし、何よりバランスが良い。

形式を問わないことは、形式を無視することとは別です。
形式に固執して、形式を解体してこそ、形式に囚われない表現になりうると思います。
それは、今を知るためにには歴史の参照が必須であることと同意です。
内側に絵画の歴史を秘めた、特異なスタイルの作品群は、静かに今を語り始めているのような気がします。

ご高覧よろしくお願いします。

プライスリスト

2003年藍画廊個展
2009年藍画廊個展
2010年藍画廊個展
2011年藍画廊個展
2012年藍画廊個展
2013
iGallery DC個展

2014年藍画廊個展
2015年藍画廊個展

会期

2016年11月21日(月)ー26日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内