藍 画 廊

瀬古徹
Self-reference
SEKO Toru


瀬古徹展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の13点で瀬古徹展は構成されています。
作品を1点ずつご覧下さい。



左壁面、左端の作品です。
タイトル 〈 a board no.132 〉(oil on canvas on board)で、サイズ28.6(H)×21.2(W)×0.5(D)cm(枠別)です。



左壁面、中央の作品です。
〈 a board no.126 〉(oil on canvas on board)で、サイズ22.8×18.7×0.5cm(枠別)です。



左壁面、右端の作品です。
〈 a board no.131 〉(oil on canvas on board)で、サイズ28.0×18.5×0.5cm(枠別)です。



正面壁面、左端の作品です。
〈 a board no.119 〉(oil on canvas on board)で、サイズ27.6×18.0×0.4cm(枠別)です。



正面壁面、右端の作品です。
〈 a board no.116 〉(oil on canvas on board)で、サイズ22.6×4.0×0.5cm(枠別)です。



右側壁面、左端の作品です。
〈 a board no.123 〉(oil on canvas on board)で、サイズ30.1×11.6×0.4cm(枠別)です。



右側壁面、右端の作品です。
〈 a board no.134 〉(oil on canvas on board)で、サイズ23.4×18.8×0.5cm(枠別)です。



入口横壁面、左端と左から2番目、3番目の作品です。
左は〈 a tracing 〉-6(pigment and dirt on paper)で24.2×19.7cm です。
中央は〈 a tracing 〉-5(pigment and dirt on paper)で26.3×18.2cm です。
右は〈 a tracing 〉-4(pigment and dirt on paper)で26.5×19.0cm です。



入口横壁面、左から4番目と5番目、右端の作品です。
左は〈 a tracing 〉-3(pigment and dirt on paper)で27.3×19.5cm です。
中央は〈 a tracing 〉-2(pigment and dirt on paper)で27.0×19.0cm です。
右は〈 a tracing 〉-1(pigment and dirt on paper)で26.8×19.3cm です。

Self-reference

イギリスのロックバンド Yes の『Sound Chaser』(1974)という曲がある。
ジャムセッションのかたちで作曲したのか、全体的には各楽器のコール&レスポンスやアドリブで成り立っているが、途中雷鳴のようなベース音が同じフレーズを4度ずつずらしながら 繰り返し、速度を変えてバンド全体の演奏を引っ張りまわすところがある。
高校生の頃にその曲を聴いたとき、硬質なベースサウンドや全体の疾走感に惹かれただけではなく、その「Sound Chaser=こだま」というタイトルとこのフレーズの関係が、エキサイ ティングなできごととして直感的に私の中に刻み込まれた。
この曲は、作品の外にモチーフを求めてはいない。曲を構成する要素や構造が曲のモチーフ であり、テーマなのだ、と。

その後美術の道に進んでから、同じ感触を、ルドンの油彩画やパステル画からも得ることができた。彼の作品中に「出現」する怪物たちは、作品の外からやってきたのではなく、そこに偶然塗りつけられた色材が生み出したのだ。

私はこのように自らの「成り立ちかた」そのものがモチーフとなっているような作品に強く魅力を感じる。

私の作品は、「塗装された彫刻」であり、「ものの上の絵画」である。

私には、美術の様々な形式は強く閉じているように思われる。もし、この形式に閉じ込められてしまうと、私はモチーフを作品の外部に求めなくてはならない。
しかしその外部には、わざわざ美術表現を通して伝えたい心動かされたことや、メッセージが見当たらない。
私にとって現実世界はそれほど創作の機縁に富むものには感じられない。むしろそれらを求めた途端に、私の創作・表現は停止してしまう。
だから私は、私の創作・表現を持続させるために、作品の内部にモチーフを求めている。そのために曖昧な立ち位置で創作・表現している。

そして作品は、物理的にはオブジェクトとして存在しても、観る者の意識の中心にあるのではなく、周りを軽やかに「流れ」、「包み込む」ような存在であるべきだと思っている。
それが故に私の作品は、現実世界のモチーフを取り上げ主張するようなことをせず、自らを言及し、モチーフとし、日常の中に“積極的に”「控えた存在」であるべきなのだ。

2015.11.23 瀬古 徹

瀬古さんの新作、まず驚くのはその展示方法。
床に立てかけてあります。
絵画なら壁面に、彫刻なら台座か床に依拠するのが普通です。
しかしこれは依拠するものが有りません。
中空に浮かんだような設置方法です。

この方法に前例がないわけではありません。
藍画廊でもみわはるきさんがすでに試みています。
しかしあの時はキャンバスの作品で、部分的で、今回とは様相が違います。
瀬古さんの作品は小さな板きれの作品。
支持体はエッジがシャープではなく、手作りであることが見て取れるパネルです。
色も単色で、モノのような体裁です。

全体の印象はニュートラルで、ミニマルです。
だが、ミニマルアートとも違う。
ストイックな雰囲気が皆無だからです。
偏りがなく、どことなく軽やかで、親しみを感じます。

極小の宝石のような絵画から、モノ感が強い作品への転換。
思い切った変化ですが、元々の出発点は今回のような作品でした。
もう少し色味があって、カタチも様々でしたが、通底するところは同じです。
螺旋の進化なのかもしれません。

絵画と彫刻、平面と立体という区分は随分前に無効になりました。
それぞれの特質を生かした作品は今でも存在しますが、表現の多様化は年を追うごとに進んでいます。
近年では映像の採用が顕著で、単独のみならず、平面や立体との同時展示も珍しくありません。
又、絵画の作家が彫刻を為すこと、あるいはその逆も、自然に行われています。
その中で、瀬古さんの試み。
とても面白く、積極的に支持したい作品、展示です。
絵画と彫刻の本質を弁(わきま)えた、シンプルな表現です。

テーマの設定も独自で、コメントにあるように、作品の内部に求めています。
その自己言及は日常に溶け込むようにヒッソリとしていながら、確かな存在感を有しています。
環境に流されず、場に作用して、空間を変容しています。
ある意味で、目から鱗のような展示と感服いたしました。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト


2003年藍画廊個展
2009年藍画廊個展
2010年藍画廊個展
2011年藍画廊個展
2012年藍画廊個展
2013
iGallery DC個展

2014年藍画廊個展



会期

2015年11月23日(月)ー28日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内