藍 画 廊



宗岡さと子展
 SIZE 考〜F〜
MUNEOKA Satoko


宗岡さと子展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、タイトル「バケツリレーF30」でサイズ91(H)×73(W)cm、「バケツリレーF15 from left to right」で65×53です。



正面の壁面です。
左から「バケツリレーF80」で145.5×112、「バケツリレーF15 from right to left」で65.2×53です。



右側の壁面です。
左から「バケツリレーF3 green」、「バケツリレーF3 yellow」、「バケツリレーF3 blue」で、サイズはすべて27.3×22です。



入口横の壁面です。
タイトルはすべて「ドローイング」で、サイズも21.5×14.5で統一されています。

以上の10点が展示室の展示で、その他小展示室に6点の小品が展示されています。
作品はキャンバスに油彩で、ドローイングのみ紙にパステルです。



左壁面の「バケツリレーF30」です
躍動的な筆致と鮮やかな色彩。
動きそのものを描写したような絵画です。

宗岡さんの展覧会には二つの謎があります。
まずは、なぜバケツリレーなのか、それと、サブタイトルの「SIZE 考 〜F 〜」の意味。
解く鍵は入口横壁面に貼付してある二つのテキストです。
まずバケツリレーの謎から。


今展に寄せて

F-figure 人物というモチーフで当初は身近で働く人々をテーマに、と考え展示プランを練っていました。
3.11 東日本大地震当日、私はNY旅行中でした。
大きい地震があった、 大勢の人が亡くなったのだとだけ聞き、大きな不安の中帰国したとき残念なことに今展示のことは私の頭の中で小さな予定になってしまいました。
毎日毎日繰り返しながれる絶望的な被害状況を伝えるニュースの中でふと心に留まる映像に支援物資を次々とバケツリレーで運ぶ人々の姿がありました。
手と手、腕と腕で生きていくため、生活を取り戻すため、必要としている 人のため、確実で堅実な行動に美しさを感じました。
その美しい働く姿をモデルにニュースのスケッチを始めました。
復興のため働く人々の美しさを表現することが出来たらこんなにありがたいことはありません。
微力ながら復興を果たすその日までエールを送り続 けたいと思います。

宗岡さと子



バケツリレーというタイトル、モチーフの意味は、東日本大震災にあったことが解りました。
当初の働く人をというテーマが、支援物資のバケツリレーに重なったことがこのテキストによく表されています。



同じく左壁面の「バケツリレーF15 from left to right」です。
お気づきかと思いますが、各壁面ごとに同じ場面が描かれています。
同じ場面ですが、大胆なタッチで、あたかもジャズの即興演奏のように同じ演奏(絵画)は存在しません。



正面壁面の「バケツリレーF80」です。
ヘルメットを被った被災者(支援者)の復興への姿が力強い筆跡で表されています。
この作品と対になる「バケツリレーF15 from right to left」は、このページトップの小さな画像です。



右壁面の3点、 「バケツリレーF3 green」、「バケツリレーF3 yellow」、「バケツリレーF3 blue」です。
色名は主に左側の人の色合いに因んでいるようですが、小品のシリーズとして面白い着想、展示の仕方です。



入口横壁面のドローイング3点です。
紙にパステルですが、線の表現と、色合いの違いが興味深いドローイング。

さてもう一つの謎、「SIZE 考 〜F 〜」はどういう意味なのでしょうか。


F P M S サイズ考について

日本ではキャンバスのサイズに F•P•M•S という縦横の比率の規格があります
F(figure 人物 ) サイズの長辺に対して短辺の長さが P(paysage 風景 )M(marine 海 ) と短くなっていきます。
S(square 正方形 ) は全部の辺が長辺の長さです
制作に際して自分の感覚に合わせてこれらの規格と作品の大きさを何となく選択して好きなように描いてきました
F•P•M•S がそれぞれモチーフを表す単語の頭文字と知ったとき何を根拠にこんな比率を規格にしたのか?興味を覚え、由来や発祥を調べて研究するより絵描きとしてみずからの表現で考察していこうと思い立ったのが「サイズ考」のシリーズ展示です
今展はシリーズ最後のモチーフ『F-figure- 人物』です
ご批評ご鞭撻お願いいたします

2011 . 6 宗岡さと子



3月11日の東日本大震災、言うまでもなく、それ以前とそれ以後では、人々のモノの見方、考え方が変わってしまいました。
その変化は、とりわけ表現者である美術家の奥深いところに突き刺さりました。
表現することの意味を、もう一度考えざるを得なくなったのです。
それはチャリティーといった直接的な支援とは別に、美術家の存在自体に問いかけられた問題です。

わたしは、前言と矛盾するようですが、美術家自身は以前から警告を発していた思っています。
美術家なりのやり方で、自然や人間や社会の在り方について発言し続けてきました。
その正しさは、今回の震災で逆に証明されたと思います。
ただ、美術家という役割については、(ある意味で)無力感を持ったのも事実かも知れません。
作品の強度や深度についても、問い直しを迫られたでしょう。

宗岡さんの作品を見ていると、被災者の復興への逞(たくま)しさに拮抗しようとする意志を読み取れます。
美術の力を、本当に力として表現しているように思えます。
その力を喩えてみれば、前述したように、ジャズの演奏者が全身の力を使って即興演奏している姿です 。
フレーズを積み重ね、音色を変え、リズムを変え、うねるような動きが、画面からほとばしっています。
それでいながら、働く人の美しさや、働く人への優しさも表現されています。
ダイナミックでありながら、どこかチャーミングなのです。

(多分)宗岡さんは、身体で考える人だと思います。
それは絵にもテキストにも表されています。
身体で考え、一歩一歩進む人だと思います。
あのバケツリレーが、人手というスローな手段ながら、確実に物資を届けるように。

ご高覧よろしくお願い致します。


会期

2011年6月13日(月)ー6月18日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



会場案内