差出人:M.Fukuda <fuku-mac@×××.ne.jp> 宛先:秋元 珠江 <tamae@×××.ne.jp>
件名:展覧会テキスト「iの研究」。
>でも、思い付いたのだけ書くと、
>「女の生き方」(笑)ですねー。
>「エラン」でしたっけ?まさにこれをテーマとした雑誌が創刊されましたね。
>基本的には男性も含んだ人間全部の「生き方」に興味があります。
>でも、自分の生き方の参考に同年代以上の女の人が人生やら、仕事の事、生活の事、
>恋愛遍歴とかを語っている記事があったら読んでしまいます。
>だから、「エラン」の島田順子特集も気になっています。
>(創刊号「岸恵子特集」は売り切れって本当だろうか???)
秋元さん、御返信有難うございます。
「女の生き方」、難しいですねぇ。
結構難しい。
特に「女の」が難しい。
男はねぇ、自分が男ですから何となく解ります。
女性に関しては良く解ってないですね、わたしは。
でも、ちょうど良い機会です。
わたしなりに考察してみたいと思います。
ということで、<iGallery's eye vol.4 秋元珠江展>のテキストとなる「iの研究」は、<女の生き方>の研究にします。
偶然ですが、今回の連続展(vol.2,3,4)は全員女性作家になりましたしね。
良いテーマだと思います。
それで、早速「エラン」買ってきました。
表紙によれば、「ひとりの魅力的な女性で100ページ/大人のためのパーソナルスタイルマガジン」が「エラン」ですね。
今月号(6月号)は藤野真紀子さんの特集です。
藤野真紀子さん、残念ながらわたしが知らない人です。
料理研究家の方ですね。
創刊号が岸恵子、次が島田順子、それで今月号で、次号以降は野際陽子、黒木瞳、加藤登紀子。
藤野真紀子さん以外は全部知ってます。
ということは、わたしが不勉強なんでしょうね。
秋元さん、「藤野真紀子さん」御存知でした?
いきなりですが、「エラン」では叶姉妹は特集しないでしょうね?
「エラン」、まだ良く読んでいませんが、絶対にしないでしょうね。
叶姉妹は「ヴァンサンカン」だか「クラッシー」で有名になった人ですよね。
だから、その類いの本と「エラン」は違うわけです。
表紙からして、どこかストイックなモノクロームで浮ついたところがないです。
ま、叶姉妹の件については後述することにして先に進んでみます。
さて、「エラン」をパラパラ見ながら考察してみます。
(多分、秋元さんは制作が忙しいので読んでないですよね。)
まずは藤野真紀子さん特集の100ページです。
「パリ」です。
パリで三年間修業されて、今日の料理研究家として基礎を築かれたようです。
ご主人の赴任先がパリで、それまでなさっていたお菓子作りを本格的にパリで勉強されたようです。
同時にパリでは料理以外の文化的体験、フランス人との交流も積極的になされました。
その辺りの事が最初に載ってます。
次がパリでの菓子修業の現場(再訪)の話です。
終わりの方にお薦めのお店(食器、食材、レストラン、カフェ)もしっかり載っています。
次は、藤野真紀子さんの作品紹介です。
お菓子が四点、美味しそうです。
その後は、聖心女子大の後輩でおつき合いの深い岡田美里さんと飲茶で対談。
藤野真紀子さんの「おもてなし」です。
「おもてなし」のレシピが付きます。
続いて、藤野真紀子さんのキッチン&インテリア。
御自宅訪問です。
コンサバで趣味の良いお住まいです。
次は、藤野家のお庭拝見です。
いわゆる、ガーデニングです。
それほど広くはないようですが、やはり趣味良く整えられています。
「お気に入りの店ガイド」(雑貨・ガーデン・製菓材料)付。
藤野真紀子さんの短いエッセー集がそれに続きます。
次は旅。
前回<旅>を研究しましたが、もちろんそれとは全然違います。
唐津への旅です。
藤野真紀子さんのルーツでもあるところで、その思い出話がメインです。
当然、旅館、料理屋、お土産の紹介もあります。
次は、藤野ご夫妻の対談。
ここまでは、本文をほとんど読んでません。
見出しとかリードの文章しか読んでません。
写真が多いのでそれでも充分だと思います。
この対談はちゃんと読んでみます。
秋元さん、ちょっと待ってて下さいね。
ご主人は東大卒で運輸省にお勤めでしたが、退職して政治家の道にチャレンジするそうです。
環境的にはお二人ともアッパーな階層ですね。
対談は主婦が仕事を持つ事によって発生する家庭の問題を中心に、これまでの夫婦の歩みが語られています。
運輸省のエリートの奥さんは大変だと思います。
わたしの読後感では、ご主人の理解はそれなりにあったと思います。
(理解する、しないという立場の問題を保留すればですが。)
対談の最後に藤野真紀子さんの著作一覧。
お菓子関係、料理、エッセイ集。
そうか、そうだったのか。
エッセイ集のタイトルで藤野真紀子さんが「エラン」に登場したわけが理解出来ました。
「わたしのパリノート」、「エレガンスに暮らす」、「エレガンスな毎日」、「藤野真紀子から花嫁に贈る言葉」、「夢を形にするルール」、「ようこそ、わたしの暮らしへ」、「ひとつぶのエレガンス」、「シンプルモダンスタイルブック」、「妻のための恋愛論」。
藤野真紀子さんは、お菓子の専門家でもあるのですが、どちらかといえば「ライフスタイル」の専門家だったんですね。
そこで、ページを戻して本文に収められた短いエッセイ集「暮らしのなかのエレガンス」を読んでみます。
口紅、お化粧、ハンカチ、鏡、手紙、ストッキング、香り、手みやげ、贈り物、旅行のワードローブ、ウエルカム・ドリンク、ショッピング、チップ。
これらのタイトルが付けられた短文は、エレガントな生活への親切なアドバイスで溢れています。
文章に嫌みがなく、外国生活を手本にしているわりには素直に読めます。
(フランスでは〜、イギリスでは〜、といった類いの文化、生活を語ったエッセーには正直辟易していますので。)
エレガンス。
これも前回の研究で出ましたね。
レクター博士です。
この特集を見ていると、レクター博士がウケるのも良く解ります。
時代はエレガンスなんですね、秋元さん。
さてさて、特集はまだ続いていて、藤野家のレシピ「いつものごはん」で終わりになります。
16ページから127ページまで、途中に広告が入ってますから約100ページの特集になります。
表紙の文言に偽りなしです。
ついでですから、その後のページもパラパラ見てみます。
ファッション、雑貨のページがあって、エルメスとのタイアップ記事があります。
その中のコピーを一つ取り上げます。
「シンプルに自然に生きるという贅沢が、今、わかった」。
エルメスを購入し使ってみてそう思った、というシチュエーションでのコピーでしょうか?
冷静に考えれば、とてつもなく無理のあるコピーです。
そう思いませんか、秋元さん?
でも、何気なくページを繰っていればそれほど違和感も感じず、その気になってしまいますね。
こういった「イメージ」によって、わたし達の生活は作られ、消費は続けられていると思います。
エルメスの後は、香水の小特集。
最後に「おでかけ情報」(食事、アート、演劇、映画、音楽、書籍)という定番ガイドページ。
あっ、その後にもう一つありました。
女性誌で絶対外せないものです。
「占い」ですね。
秋元さん、「エラン」を読んだ(見た)感想を素直に言わせてもらえば、「ちょっと退屈」です。
既成の女性誌のイイトコ取りですし、ウリの「ひとりの魅力的な女性100ページ」もステレオタイプな作りです。
もちろん、ステレオタイプだから安心して読める、というのはあるとは思います。
だけど、わたしはもうちょっと刺激的な雑誌を読みたいですね。
雑誌自体が消費と連動しているのは「エラン」に限らずどの女性誌でも同じです。
事情は男性誌、一般誌でも変わりません。
でもねぇ、そういうのもミエミエでいささか飽きたんですよね。
広告収入をあてにしなければならない雑誌には、今は難しい時代かもしれません。
藤野真紀子さんは充分に魅力的な女性です。
素敵な「生き方」だと思います。
年齢を重ねることによってしか獲得し得ない美しさを持った人です。
ただし、このエレガンスな生活は大変だと思います。
お菓子作りに著作、家事、おもてなし、ガーデニング、その他雑用。
それらをエレガンスにこなす。
普通は出来ないですね、わたしには絶対できない。
秋元さんは?
藤野真紀子さんが、実際にそういう生き方をされているかどうかは分かりません。
かなりの努力をして、そういう生き方をしているのかもしれません。
あるいは、あるアングルから見た表層かもしれません。
(そのエレガンスを支える裏側が見えません。それはそれで興味深い「生き方」だと思うのですが。)
100ページというページ数が、その人の生き方を語るのに多いのか少ないのかも分かりません。
まぁ、これは「イメージ」と考えた方が良いでしょう。
先程のエルメスほどの落差はないにしてもです。
深く考えずに、あるひとりの魅力的な女性の「イメージ」を消費する。
「エラン」という女性誌を見るということは、恐らくそういうことなのでしょう。
秋元さん、ここで冒頭に書いた叶姉妹の話をしましょうか。
「iの研究」の第二回で叶姉妹にふれましたよね。
叶恭子さんの「蜜の味」です。
トータルライフアドバイザーが叶恭子さんのお仕事。
簡単にいえば「ライフスタイル」のアドバイザーです。
これは、藤野真紀子さんと同じですね。
同じだけど違いますね。
何となく「イメージ」が。
藤野真紀子さんは「上品」で、且つちゃんとした仕事ももっています。
本物系の人です。
叶姉妹は「下品」で、仕事の実態が良く解りません。
良くいえば、ミステリアスな存在です。
「上品」と「下品」。
わたしの価値観では、必ずしも「上品」が「下品」の上位というわけではありません。
叶姉妹のファンではありませんが、姉妹のフェイク(偽物系)な生き方は面白いと思います。
その「下品」さも面白いと思っています。
ところで、秋元さん。
藤野真紀子さんの特集で何か欠けているものがあるような気がしました。
叶姉妹にあって、藤野真紀子さんにないもの。
それは、「恋愛」ですね。
今、特集を読み返したのですが、夫婦愛や家族愛はあっても「恋愛」はありません。
(著書には「妻のための恋愛論」というのがありますが。)
叶姉妹は「恋愛命(いのち)」のお二人です。
もちろん、「恋愛」が叶姉妹の専有物ということではありません。
「エラン」の他の人の特集では、それなりに「恋愛」も登場したと思います。
要は叶姉妹が「恋愛」に特化した存在、ということです。
「恋愛」は時としてアナーキーなもので、藤野真紀子さんのコンサバな生き方には相応しくないものかもしれません。
藤野真紀子さんがそれを望んでいても、実際は難しい環境でしょうね。
あるいは、「エラン」には出ていないところで「恋愛」があった(ある)かもしれません。
わたしは、今の女性は「藤野真紀子的生き方」と「叶姉妹的生き方」の両方を求めているような気がします。
「藤野真紀子的生き方」は、自分のしたい仕事と家庭をこなし、エレガンスに生活する生き方です。
「叶姉妹的生き方」は、恋愛に自分の情熱をかける生き方です。
「叶姉妹的生き方」というのは、実は複雑です。
その複雑さが、叶姉妹が「エラン」では絶対特集とならない理由です。
それは、そのフェイクな在り方と、「性」の商品化がそこに含まれているからです。
叶姉妹という商品を香水に喩えれば、その香水を包むボトルは「性」だといえます。
「性」の商品化は、女性にとって意識せざるを得ない社会的な問題です。
それへの反発、あるいは叶姉妹がそれを堂々と商品化していることへの喝采もあると思います。
女性の「性」を女性がいかように考えようとも、社会のある部分では女性の「性」を商品として扱っています。
その辺りの現実認識も含めて「叶姉妹的生き方」は成立しているような気がします。
フェイクな在り方は、虚実を含んで「藤野真紀子的生き方」と繋がっています。
この繋がりが面白いといえば、面白いです。
(恋愛を、「叶姉妹的生き方」で代表させることに納得いかない人もいると思いますが、あえて複雑な「叶姉妹的生き方」を選びました。その方が、「女の生き方」の考察に拡がりがでると思ったからです。)
恋愛は、女性にとって永遠の生き甲斐です。
「女の生き方」に恋愛は外せません。
ここで断言するほどの自信はありませんが、多分間違いないと思います。
しかし女性が、生まれてすぐに恋愛を人生の中心に置くわけではありません。
そういった社会意識、社会システムがそうさせるのです。
社会意識、社会システムが逆であれば、男がそうなるでしょう。
社会意識は社会システムから発生するもので、その逆ではありません。
そして、その社会意識は形(実体)がないものですから、逆にもっとも強固なものになります。
形があるものより、形がないものの方が強いのです。
秋元さん、これ以上書くと理屈が先行して話が逸れそうなので止めときます。
まぁ、わたしの考えでは「女の生き方」と恋愛は切り離せないが、それも社会意識の為せる業ではないかということです。
ただ、その社会意識が必ずしも悪いものというわけではありません。
そのお陰で人生が楽しくなったりもするからです。
「藤野真紀子的生き方」も、複雑な「叶姉妹的生き方」も、社会と接触した時、そこに軋轢を生みます。
「女の生き方」を真摯に考えて、実行したら必ずそうなります。
社会(社会意識)は敵として、「女の生き方」の前に立ちはだかります。
当然、それと戦うスキルも必要でしょうね。
それは、少なからず「男の生き方」(死語か?)にもいえるとは思いますが。
秋元さん、「女の生き方」の考察はここで終わりです。
如何でしょうか?
「女の生き方」は昔から難しかったと思います。
(この場合の難しいは、考察が難しいではなく、生き方が難しいの意味です。)
社会進出という点でいえば、相当変わったとは思いますが、果たして「女の生き方」が易しくなったかは分かりません。
実は、「生き方」自体が本来難しいものかもしれません。
ところで、「女の生き方」にはどうして「パリ」が絡むのでしょう?
岸恵子、島田順子、藤野真紀子、全部「パリ」ですもんね。
この「パリ」幻想は宝塚から始まった気がします。
震源地は宝塚で、その影響力は震源地を忘れさせるほどの強さがあったのでしょう。
これは、研究の余禄です。
最後に、古い歌謡曲の歌詞を載せます。
西田佐知子の「エリカの花散るとき」です。
西田佐知子は、美貌と類いまれな歌唱力を兼ね備えた歌姫(ディーバ)でした。
残念なことに、関口宏の妻となった時に歌謡界から引退しました。
「アカシヤの雨がやむとき」が代表曲ですが、井上陽水がカヴァーした「コーヒー・ルンバ」のオリジナルも西田佐知子です。
今回の研究シリーズは、「花の首飾り」で始まりました。
最後は「エリカの花散るとき」です。
これは恋の歌です。
「エリカ」はヒースのことです。
(恥ずかしい話ですが、花に疎いわたしは架空の花だと思ってました。)
「エリカ」というのは恋のメタファーです。
恋に生きる女の歌です。
それと同時に、「エリカ」は「女の生き方」のメタファーではないかと思います。
自分の進むべき道、生き方についての歌だと思います。
わたしは、この歌を聴いているとそんな気がします。
作品、楽しみにしています。
会場でお目にかかりましょう。
それでは。
2001/5/12 ふくだ まさきよ<第二十九回終わり>
今回の研究は、<iGallery's eye vol.4 秋元珠江展>の為に書きました。
秋元さんからいただいたテーマをもとに研究いたしましが、実際の秋元さんの作品とは直接的な関係はありません。
一種のコラボレーションとお考え下さい。
展覧会は五月十七日より二十九日まで下北沢のGHギャラリーで開催いたします。
御高覧よろしくお願いいたします。
展覧会案内
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