だいぶ前の事だが,いつものバーで友人のFくんと飲んでいた。
話題の区切りでFくんがわたしに尋ねた。
「福田さん、幸せですか?」
わたしは不意をつかれて言葉を失い、慌てて「幸せって言えば幸せだけど、不幸って言えば不幸だな。」、と答えにならない答えを発したのであった。
Fくんは、「そうですか。この質問をすると何故かみんな一瞬言葉に詰まるんですよね。わたしは幸せですよ。みんなどうして幸せじゃないのかな?」、とうそぶいたのであった。
もちろんこれはFくん一流のジョークである。
しかしわたしはこの夜のやり取りが妙に記憶に残った。ところで,前回の<愛>の研究、友人の Hさんから感想のメールをいただいた。
ちょっと引用します。わたしはケーブルTVで立て続けに川島雄三を見たとき
(といっても三本ぐらいだけど)
主演女優が全部、若尾文子だったんだけど
この人、ホント、濃厚ですよね。
なんかムンムンムレムレ。
それも“ええカラダしてまっせぇ”系でなく
なんか魂から溢れ出すエロがある。
でも、肉食系エロでなく米食系エロなのがまた微妙。
やっぱり独特だあ。
ダンナ黒川紀章(大嫌い!)だし
個人的な興味はないけど
研究対象としてはおもしろい気がします。米食系エロ、言い得て妙ですね。
さすが大阪出身、ニュアンスの言語表現が上手い!
さて、何でHさんのメールを引用したか?
それはここで肉食系エロの方に登場してもらうためである。
“ええカラダしてまっせえ”系の方である。
叶姉妹のお姉さん、叶恭子さんである。
レプリカント美女である。
わたしは、叶恭子著「蜜の味」を買いました。
別に彼女のファンというわけではありせん。
書店で見たとき何か感ずるものがあったんですよ。
ひょっとしたら面白いことが書いてあるのではないかと。
しかしですねぇ、読んだらこの本は<幸せ>について書かれた本だったんです。
ちょっと予想と違いましたが、それはそれで面白いと思いました。
本題に入る前にこの本の内容を紹介します。
一応自伝です。
ゴーストライターが堂々と前書きを書いてます。
何でも、例の「ミス日本疑惑」の言い訳をするための緊急出版らしいです。
このあたり、本文でもクドクド書いてます。
まぁ事情があるとはいえ、自伝だったら自伝で押し通して欲しかったです。
だいたい、「グランプリ」は1人で、「ミス」が何十人もいるコンテストで見直し当選も何もないと思いますが。
(恭子さんはコンテスト後何故か見直し当選で「ミス日本」になったらしい。しかし、40人もの「ミス日本」がでた年もあったらしいですよ。これにはビックリしました。主宰者の和田静朗もホント怪しい人ですね。)
自伝の中身については後ほど触れるとして、「アメージングな人生」を送った彼女は終章で自分のこれからについて語っております。わたしは、今携わっている「トータルライフアドバイザー」というお仕事を通して、「いかに人生を幸せに生きるか」というテーマをみなさんと分かち合っていきたいと思います。
恭子さんは自分の人生を振り返って、「宿命は変えられないが運命は変えられる。そこに大きくかかわってくるのがライフスタイルである。」と確信したわけです。
自分自身を知ったうえで幸せを追及し、幸せを見いだして、幸せに生きるということがいかに大切であるか。生きるということはそういうことだと思うのです。
この考えは正論ですね。
「青い鳥」以来、<幸せ>は探すものではなくて、知るものだというのが「定説」ですから。
グル高橋もこういう「定説」を言ってれば逮捕されなかったのにね。
自分自身を知る、そして自分にとって<幸せ>とは何かを考える、そこからすべてが始まる。
正論ですが、具体的な「トータルライフアドバイザー」のお仕事の中心になるのは、物選びなんですね、これが。
「いかに自分に合った物を、自分が必要とする物を選んでいくか」を「コーチング」するのが彼女の仕事の重大なポイントになるそうです。
思えば、田中康夫が「なんとなくクリスタル」を書いた後に、「岩波文庫を一冊読んだ時の感動も、ルイ・ヴィトンのバッグを買った時の感動も、感動の質においては等価である。」と言ったのでした。
それまでは明らかに感動の質では岩波がヴィトンの上位にいたのに、何故でしょうか?
多分、自己実現がしにくい時代になったからでしょうね。
社会の中の極々一部のみが自己実現が可能であり、その他にとっては到底不可能な時代。
自己実現とは、何かを変えることであり、変える過程でもあります。
例えば、わたしがホームページでくだらん事をえんえん書いてるのも、まぁ自己実現の一種です。
このページを読む人がいてくれるわけですから。
その人とはやはり何がしかの関係ができるわけです。
それはほんのちょっとと言っても変化ですよね。
わたしにとっても変化であるし、関係も変化すると。
そういった働きかけと関係の運動が自己実現じゃないかと思うんです。
ところが、今の時代は働きかける関係の対象が硬直化してるか、崩壊してるかのどっちかなんですよ。
端的に言えば、公的関係(仕事とか社会とか)は概ね硬直化してます。
それ以外の生活の場は崩壊してます。
これじゃ変える術も拠り所もない。
そんな時代に突入したんですね。
消費社会を伴って。
だから岩波的な<幸せ>を真面目にやりすぎるとヘンな宗教に引っ掛かってしまう。
イデオロギーが力を失った今、<幸せ>をマジにやってるのはヘンな宗教だけですから。
自己実現が閉鎖的な関係の中でグルグルまわるだけです。
わたしは、そっちに行っても自己実現なんか出来ないと思うんですがねー。
真面目な人は行っちゃうんですよね。
行かない人は、ライフスタイルで自己実現を計ろうとするわけです。
それの方が利口って言えば利口です。
見てくれる人がいてのライフスタイルですから。
誰も見てなきゃそれはスタイル(形式)とは言わないです。
ライフスタイルも 言ってみれば関係性なわけです。
(ただし、そこには果てしない記号の差別化という地獄も待ってますが。)
ライフスタイルのスタイリストをやるわけです、恭子さんは。
叶恭子さんは一生懸命<幸せ>について研究している、と「蜜の味」を読んだ後思いました。
ただ、あまりにも時代に寄り添った<幸せ>の研究ではないかとも思いました。
ま、ビジネスだからしょうがないか。自己実現が出来ない時代の<幸せ>とは、極端に言ってしまえば<幸せ>と思えば<幸せ>なんですよね。
<不幸>と思えば<不幸>。
身も蓋もないですが。
しかし、そう考えてしまえばアタフタしなくて済む。
だけどわたしはアタフタするんですよね。
優柔不断というか何というか・・・・・・・・・。
でも冒頭のバーの会話からいけば、多くの人がわたしと同じってことですね。
でも、時代もそろそろ変わろうとしている予感がします。
そんなに悲観することもないようです。
(わたしは年だから間に合わないかもしれないが。)
そのへんの研究も追々やります。
最後に折角だから自伝の「中身」を紹介しますね。
生い立ちはたいした事ありません。
面白くなるのは高校生ぐらいから。
大阪の今で言う「クラブ」に出入りしてた時に金持ちのバカ息子の愛人になります。
こいつがデートの度に「ワンブロック」持参するようになります。
「ワンブロック」、解ります?
一千万円をビニールで梱包したシロモノ。
大蔵省から銀行にダイレクトにくるお金はそういう形体でくるそうです。
そのうち二ブロックになり、三ブロックになり・・・・・。
その金を元に上京して並行輸入の会社を経営します。
恭子さんは会社の社長もやってたわけです。
そんなある日、ショッピング中に老紳士(ニュージャパンの横井英樹)から声をかけられる。
「友人(アメリカの石油王)と見合いをして欲しい」と言われて、パリのシャトーにでかける。
そこで妖しい体験をするのだが、相手は死んでるんだか生きてるんだか判らないような老人。
丁重に老紳士に断りを入れると、請求書に金額を書けという。
恭子さんのお値段というわけです。
そこで恭子さんは勝負に出て、十億円と書くわけです。
目を剥く老紳士、が後日入金される。
このへんがハイライトで、後はおまけみたいな話。
老紳士や石油王との、目に見えない交流なんかもあってそれなりに面白いところです。
女性が社会の表に立ったときの圧力の受け方なんかも目から鱗でした。
ところが、最後の最後に編集部からの(注)があって、これにはシラケました。
「すべては事実に即したノンフィクション作品ですが、人名や要所要所に出てくるお金の額など、他にも場合によってはフィクションにしたケースもありました。」
これは思いっ切りが悪いですよ、恭子さん。
突っ張って欲しかったです。
ウソだっていいんですよ、ウソをつき通して読者を煙に巻いて欲しかったなー。
残念でした。
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