藍画廊

日比野絵美展
パノラマ
HIBINO Emi

日比野絵美展の展示風景です。



各壁面の展示です。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の24点が展示室の展示で、その他小展示室に3点、事務室壁面に1点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面、左側の3点です。
左はタイトル「grid 1」(銅版画)でサイズ32.0×25.0cm、
中央は「grid 2」(銅版画)で32.0×25.0cm、
右は「grid 3」(銅版画)で32.0×25.0cmです。



左壁面、中央の作品です。
「square」(銅版画)で32.0×25.0cmです。



左壁面、右側の5点です。
銅版画でサイズはすべて54.0×43.0cm、
タイトルは左から「border 1」、「border 2」、「border 3」、「border 4」、「border 5」です。



正面壁面、左端、右端の作品です。
左は「no title」(モノタイプ)で98.0×126.0cm、
右は「circle」(モノタイプ)で25.0×20.0cmです。



右壁面、左側の5点です。
銅版画及び銅版画とドローイングで、サイズはすべて30.0×24.5cmです。
タイトルはすべて「no title」です。



右壁面、左側左の作品です。
「パノラマ 1」(モノタイプ)で42.0×82.0cmです。



右壁面、左側中央、右の作品です。
左は「パノラマ 2」(モノタイプ)で42.0×82.0cm、
右は「パノラマ 3」(モノタイプ)で42.0×82.0cmです。



入口横壁面、左端、左から2番目、3番目の作品です。
モノタイプでサイズはすべて32.0×25.0cmです。
タイトルは「circle 1」、「circle 2」、「circle 3」です。



入口横壁面、左から4番目、右端の作品です。
モノタイプでサイズはすべて32.0×25.0cmです。
タイトルは「circle 4」、「circle 5」です。

〈作家コメント〉
日々移ろう風景や過ぎ去る日常を描き留めています。

いつものように日比野さんの作品はモノトーンのシンプルな仕上がりですが、以前の整然とした展示は幾分変化が出ています。
画廊空間をストレート(直線的)な美意識で統一したような構成から、
変化球も交えたような感触があります。
しかし一つ一つの作品には力強さが加わって、速球度は増したように思えます。

日比野さんのテーマは、コメントにもあるように日常です。
日々繰り返される生活のことです。
わたしはつとに疑問に思うのが、生活の文字にふさわしい活力のある、生き生きとした日常を自分は送っているのかということです。
端的にいえば、日常が生きている実感に乏しいのです。
生活のほとんどが他力に頼っていて、衣食住すべてが直の自力とは遠い関係にあるのです。
「世の中に金でできないことはない」はデビュー時の堀江某の言葉ですが、ここには生きることの本質がスッポリ抜けています。

生きていることを最も意識するのは、死を思う時です。
しかし日常の中に死の影は遠のいていって、アンチエイジングなどいう言葉が持て囃(はや)されています。
宙ぶらりんになった生は行き場がなくなって、ただただ長く続いているだけです。

日比野さんの版画はとってもシンプルに、紙にグリッド、ボーダー、サークル、スクエアの形が描かれているだけです。
それと、ちょっと引いて見た黒い球形の集合などです。
それらはプリミティブであっても単純ではない。
かなりの思いがこもった描画で、それは生きていることを刻印したかのような力があります。
あるいは、生きていることの喜びを表しているかのような表情、感情があります。
喩えていえば、生を記録した日記のような変幻な彩りと力強さがあります。

日常がつまらなくなったのは、一つには、時計というもので日々が画されてからです。
時間で区切られた時を、ただ過ごすだけになってからです。
そんな日常をシンプルにモノトーンで豊かな移ろいに取り戻そうとする試みが、日比野さんの作品。
わたしは勝手にそう見ましたが、あながち間違いではないと確信もしています。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト1
プライスリスト2

2011年藍画廊個展
2012年藍画廊個展
2013年藍画廊個展
2014年藍画廊個展
2015年藍画廊個展
2016年藍画廊個展
2017年藍画廊個展
2018年藍画廊個展
2018年iGallery DC二人展

 

会期

2019年5月6日(月)ー11日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)

会場案内