藍 画 廊



高橋美羽展
ーさみしい惑星ー
TAKAHASHI Miwa


高橋美羽展の展示風景です。



画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「 不機嫌なマリー 」(キャンバス・油彩)で、作品サイズ53(H)×45.5(W)cm、
「 不機嫌なアリス 」(キャンバス・油彩)で、53×45.5cm、「 不機嫌なブランカ 」(キャンバス・油彩)で、53×45.5cm、「カナリヤ鳴く空 」(キャンバス・油彩)で、162×130cmです。



入口横右の壁面です。
「 終わりの世界 」(キャンバス・油彩)で、116.7×91cmです。



左の壁面です。
左から、「 A-Applepie 」(パネル・アクリルガッシュ・カラーコピー・油彩)で、20.5×24.2cm、「 エコロジー 」(キャンバス・油彩)で、130×162cm、「 Birthday 」(キャンバス・油彩)で、27.3×22cmです。

以上の八点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点、芳名帳スペースに二点の展示があります。



左壁面の「 A-Applepie 」です。
レンブラントの「トゥルプ教授の解剖講義」を引用した作品で、オリジナルと違い、教授の左手にはフォークが握られています。



同じく左壁面の「 エコロジー 」です。
この作品は前回個展で展示した「エデンII」の2008ヴァージョンです。
セブンイレブンとその駐車場に佇む牛。
空から毒々しい色合いの雨が降り、牛の頭部はピンクの炎に包まれ、中に苺らしきものが。
悪い夢なのか、それとも・・・・。



正面壁面の 「 不機嫌なマリー 」と「 不機嫌なアリス 」です。
マリーはマリー・アントワネットで、アリスは不思議の国のアリスです。
彩度を上げて陰影を押さえたフラットな描法が、眼に痛い作品です。
ロリータファッション(ゴスロリ)の過剰な少女趣味とスイーツ(ケーキ)の過剰なデコレーション。
これは楽しい夢なのか、それとも・・・・。



右壁面の 「カナリヤ鳴く空 」です。
地上で抱き合う男女と、上空の激しい戦闘。
滴り落ちるのはストロベリーソースなのか、それとも・・・・。



入口横右壁面の 「 終わりの世界 」です。
晴れ渡った渚で、男は寛いでいます。
甘過ぎたお菓子の夢想に包まれて、何の前触れもなく、世界は閉じようとしています。
画面から聞えてくるのは、寄せて返す、波の音だけです。
さみしい惑星の、最後です。



高橋さんは、幾つかの傾向の作品を並行して制作しています。
画廊に展示されている作品も傾向は統一されていません。
ポップでカラフルな作品があると思えば、日本画のような空間の作品もあり、古典をコラージュした作品もあります。
モチーフで共通しているのは食品、特にケーキなどのスイーツですが、それに固執しているとも思われません。

高橋さんの画面は、相当に過剰です。
しかしその過剰さは、虚しさ(さみしさ)と表裏になっています。
つまり虚しさを埋めようとして過剰になる状態を、描いているのです。
ですから、テーマがあるとすれば、それは過剰ではなく虚しさです。

少女たちはなぜゴスロリに奔るのか。
水と油のような、ゴシック(パンク)とロリータ(少女趣味)がどうして結びつくのか。
答えは、両方とも過剰だから。
そして、少女は虚しさに正直で、それを誤魔化すことが出来ないから。

わたしたちは、ゴスロリに戦慄(おのの)いて、その過剰さに冷笑を浴びせます。
しかしわたしたちの意識下は違っているでしょう。
多分、少女を羨ましく思っています。
なぜなら、わたしたちには虚しさを埋める術が見つからないからです。
虚しいのは少女の特権ではなく、わたしたちだって充分に虚しいのですから。

虚しさは、構造です。
個人的な資質ではありません。
エコロジーも、多分虚しいのです。
エコロジーが善意だとすれば、虚しいと思ってしまう高橋さんは悪意です。
でも、それはきっと正しい悪意ではないかと、わたしは思います。

ご高覧よろしくお願い致します。


2006年藍画廊個展
2007年藍画廊個展


会期

2008年12月1日(月)-12月6日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内