高橋美羽展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「ターキー」(キャンバス、油彩)で、33.7(H)×24.5(W)cm、
「ドロップ」(キャンバス、油彩)で、60.7×73cm、
「BANG!」(パネル、油彩)で、36.3×25.7cm、
「エデンII」(キャンバス、油彩)で、130×162cmです。
入口横右の壁面です。
左から、「クリーム」(パネル、アクリルガッシュ)で、27.2×22cm、
「パルフェ」(パネル、アクリルガッシュ)で、27.2×22cm、
「世界は血の地図」(パネル、アクリルガッシュ)で、14.8×21cmです。
左側の壁面です。
左から、「キス」(パネル、アクリルガッシュ、油彩)で、20×24cm、
「エデン」(キャンバス、油彩)で、162×130cmです。
以上の九点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
左壁面の「エデン」です。
いきなり、不気味です。
古い商店を背景に、素足の女性。
女性の顔を髪に隠されて見えず、腹部から蝶が舞い、足下には血溜まりのようなものが。
画面に近づいて見ると、コンクリートの地面には無数のスイーツ(ケーキ)がラフに描かれています。
正面壁面の「ドロップ」です。
夕暮れか、早朝の幹線道路です。
地平線の雲が、ミルクのように道路に流れ出しています。
空の中央部には、印を結んだような両手が。
同じく正面壁面の「BANG!」です。 どこにでもある家の風景で、電柱の前には犬が座っています。 写実的な風景に比べて、稚拙なイラストのような苺とヒール。 そのピンクもチープです。 |
右壁面の「エデンII」です。
セブンイレブンですね。
広い駐車場がある、セブンイレブンです。
この風景も特定の土地を連想させません。
日本の至るところにある、風景です。
炎のようなベタなピンクに、痩せた牛が重なっています。
牛の頭部を隠すような形が、何ともヤバイ雰囲気です。
(上の犬も同じです。)
そこにはチープでファンシーな画像が描かれていて、右の炎にもマイクロミニの下半身が三体。
牛を囲むように雑草も描かれています。
入口横右壁面の三点です。
高橋さんの表現の原点、でしょうか。
三点に共通するのは、滴(したた)る血です。
高橋さんの絵画は、正直いって、かなり不気味で気持ちが悪い。
しかし、正直いって、わたしは好きです。
なぜなら、日頃わたしが感じていることがそのまま表現されているからです。
リアルな風景と、ファンシーでチープなイメージの唐突な結びつき。
その結びつき方が、面白い。
リアルな風景は、写真が基になっています。
高橋さんが住まいの近所や勤務先の途中で撮影したものです。
選択の基準は(恐らく)ありふれた風景です。
絵にする段階で、風景は暗い色調に落されています。
日常の味気ない風景を紛らわすために、携帯(待受け画面にはお気に入りの画像)でメールを打ったり、イヤホーンで音楽を聴いたり、クルマにキャラクターを満載したりします。
チープでファンシーなイメージを風景に塗り込めます。
それは高橋さんの絵画のように、風景そのものを変えるわけではなく、挿入される形で為されます。
日常の風景がなぜ味気ないかといえば、そこには自身との接点がほとんどないからです。
関係性が欠如しているからです。
では挿入されるイメージはどうでしょうか。
濃厚な関係性を持っていますが、私的すぎて、風景の中では孤立するしかありません。
二重の閉塞ですが、わたしたちはそれを薄々感じていていながら、やり過ごします。
そうやって日常を送るしか手がないのです。
不安とは、その閉塞に出口が見当たらないことから生じます。
では高橋さんの絵画は希望のない表現かといえば、それは違います。
絵画の背後にあるのは、グロテスクな肉や生理です。
あるいは、イメージを裏切る実体の重さです。
そして、血の問題です。
剥き出しの肉体(物質を含む)や滴る血は、それがどんなに醜悪であっても、実存します。
そのリアリティの表出が、高橋さんの絵画の突出した部分です。
優れた影(陰)の絵画、だと思います。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2006年藍画廊個展