日比野絵美展
くりかえして また消える
HIBINO Emi
日比野絵美展の展示風景です。
各壁面ごとの展示をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、タイトル「work I」でサイズ510(H)×510(W)mm、紙にインク、ドライポイントです。
展示室の作品のサイズ、マテリアルはすべて同じです。
次は「work II」、「work III」、「work IV」、「work V」です。
正面の壁面です。
左から、「work VI」、「work VII」、「work VIII」です。
右側の壁面です。
左から、「work IX」、「work X」、「work XI」、「work XII」、「work XIII」です。
以上の13点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。
左壁面の展示を再度ご覧いただきます。
同じ作品に見えますね。
作品はドライポイントという銅版画の技法で作られていて、版は同じものを使っています。
通常そうであれば版画作品ということで、作品は同一と見なされます。
エディションとサインが記入され、銅版画作品として制作、鑑賞されます。
しかし今回の日比野さんの作品は版画の技法を使っていますが、版画ではありません。
ここで問題にしているのは、刷り上がった作品の微妙な差異です。
それは複製技術としての版画の欠点を指摘しているわけでもありません。
眼を凝らしてみなければ分からないほどの差異、それが生まれることをテーマにしています。
展示作品をランダムに選んで掲載いたしますので、その差異の意味を考えてみて下さい。
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最後にご覧いただくのは小展示室に展示された作品です。
これは版画作品で、タイトル「no title」でサイズ240×240、紙にインク、ドライポイントです。
〈作家コメント〉
繰り返し流れていく日常と時たま訪れる非日常。
非日常は日常へと化していったり、その場で消え去る事もある。3.11以降、繰り返される日常が日常ではないことに気がつきました。
毎日淡々と着実に流れる日常に違和感を感じ、不安を感じ、疑問を覚えることもあれば身を委ねることもあります。
繰り返される毎日と日々生まれては消えていく感情を再考する場になっています。
藍画廊の白い空間に整然と展示されたドットの作品。
それは繰り返される日常の日々を表しています。
ドットの繰り返しと、そのドットが摺られた作品による繰り返し。
音楽のミニマルミュージックのようでありながら、それとも微妙に違う美しさに満ちています。
作品の微妙な差異は、版に付いたインクを拭き取る作業で生じます。
銅版画の場合、凹版ですから、凹部以外に付着したインクを拭き取る必要があります。
この手作業がごくわずかな差異を生むのです。
何ともアナログな差異ですね。
繰り返される日常。
わたしたちはその日々の中で月日の早さを感じています。
しかしその日常を仔細に観察してみれば、同じことの繰り返しではありません。
ちょっとした切っ掛けや大きな非日常を境に、生活に変化が生じます。
そしてそれが日常に組み込まれて、また繰り返されていく。
日比野さん作品はコンセプチュアルですが、コンセプチュアルアートではありません。
ミニマルですが、ミニマルアートでもありません。
版画という複製技術を逆手に取った、独自の表現です。
版画の繰り返し摺るという行為から、人の生きることの意味を探っています。
画廊という空間、場を取り込みながら、生活の実態を考察しています。
ご高覧よろしくお願い致します。
会期
2013年5月20日(月)ー5月25日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内
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