藍 画 廊



「赤塚行雄氏を偲ぶ会」展(2)
Remeber of MR. Yukio Akatuka


「赤塚行雄氏を偲ぶ会」展(1)の続き

「赤塚行雄氏を偲ぶ会」展
の出品作品、資料、縁の品を順にご覧いただきます。
(敬称は略させていただきます。)



左壁面の台に展示された、赤塚行雄氏縁(ゆかり)の品です。
左から「交換書簡(写し)」(高橋 圀男蔵)、「年賀状」(高橋 圀男蔵)、「生前にいただいた古い物 錘り/天秤ばかりのブンドウ」(赤瀬川 原平蔵)、「生前にいただいた古い物 器」(赤瀬川 原平蔵)、「生前にいただいた古い物 昔の幅広の鋸」(赤瀬川 原平蔵)、「年賀はがき」(木下 道子蔵)です。



左壁面の作品です。
左から「未来の記憶」(尾島 あけみ)、「花梨香」(大竹 明子)、「虫」(今 道子)、「無題)(わかな みえ)、「無題」(中村 郁子)、「青いインク」(和田 尚子)です。



同じく左壁面です。
左から「きこえるかい?」(丸山 芳子)、「赤塚行雄メールアート作品」(堀川 紀夫)、「E-Stamps Series 2011.04」(堀川 紀夫)、「携帯電話カメラによるグラフィズム (1)〜(10)」(ふくだ まさきよ)です。



正面壁面です。
左から「WARK-1」(鶴巻 美智子)、「Gap of Sight(視界のズレ)」(前山 忠)、「Silencer 2009-2」(柏原 えつとむ)、「1975年創形美術学校赤塚行雄氏の講義テーマ書『イメージとシンボル』」(小西 慎一郎)、「Y氏像」(松本 旻)です。



同じく正面壁面です。
左から「視線、対象、出来事」2009年12月15日 神奈川県大磯町、午前8時50分頃 ♯0829」(土橋 公三)、「♯0829」(柳井 嗣雄)、「無題」(松岡 小枝子)、「無題」(五十嵐 弘子)です。



右側壁面です。
左から「SHINANO early spring-榧野八束氏に捧ぐ-」(いちの しのぶ)、「浅春の夕刻」(佐藤 真理)、「バラと水の物語」(小松 富士子)、「Surface/Figaro 意勢VI-8」(中村 功)です。



同じく右壁面です。
左から「写真・資料」(中西 夏之)、「遠近I、遠近II」(海老沢 さおり)、「”吽の自画像”」(芳村 芳生)です。



同じく右壁面です。
左から「家」(小堀 千恵)、「無題」(山下 武美)、「無題」(小野 重治)、「Artist A&A」(平野 俊子)です。



小展示室と入口横壁面です。
左から「無題」(三代川 和美)、「夜桜に黄水仙」(熊谷 直子)、「湿度とフレーバー」(長谷 眞砂子)、「無題」(高橋 圀夫)です。



入口横壁面の台に展示された資料です。
「現代美術 1号~10号」(前山 忠蔵)、「新潟現代美術家集団GUNの軌跡1967-1975」(前山 忠蔵)、「ピエロタ」(前山 忠蔵)、「赤塚行雄著作コピー」(松本 旻)、「赤塚行雄原稿コピー」(松本 旻)、「美術手帖/女子美に寄贈の物」(木下 道子)、榧野八束著作『近代日本のデザイン文化史1868-1926』(フィルムアート社)、『(江戸・東京)河岸綺譚』(INAX出版)が展示されています。



入口横壁面に展示されたパネル、「赤塚行雄さんの思い出ー略歴にそって」(出村 弘一<元「美術手帖」編集部、「デザインの現場」編集長>、青木 祥子)、「赤塚行雄さんのことー60年代後半を中心に」(前山 忠)です。


多くの方の協力を得て、「赤塚行雄氏を偲ぶ会」展は開催の運びとなりました。
冒頭に書きましたように、本展は2010年5月19日に急逝された美術評論家・赤塚行雄氏を追悼する展覧会です。
「赤塚行雄氏を偲ぶ会」は昨年7月31日に東京銀座で、赤塚氏のご冥福をお祈りする集まりとして催されました。
その集まりのことは『赤塚行雄(榧野八束)氏を偲ぶ会のご案内』として掲載させていただきました。
そして、その折りにお願いした展覧会が本展です。
作品は、お忙しい中多くの方の参加をいただきました。
発起人の一人として、この場を借りて御礼申し上げます。
資料も多くが散逸した状態でしたが、出品者のご尽力によって、最低限のものは揃えることが出来ました。
又、パネルにした略歴や思い出の数々は、あまり知られなかった赤塚氏の人物像に触れていて、興味深いものになっています。
縁の品々も、赤塚氏の暖かい交友を物語っており、偲ぶ会の展示に相応しいものになっています。


直接の面識のないわたし個人にとって、赤塚氏とは榧野八束『近代日本のデザイン文化史1868-1926』(フィルムアート社)がすべてです。
この名著に感動して、「赤塚行雄氏を偲ぶ会」と展覧会のお手伝いをさせていただきました。
展覧会の前にもう一度読み返してみると、『近代日本のデザイン文化史1868-1926』は明治初期のランプの話で始まっています。
ランプ(人工燈火)の導入、普及によって、昼間が延長(夜に近づく)ようになり、同時に近代科学・技術も新しい普遍性の原則を生活に持ち込むようになりました。
そして定時制という現在の時制(1日を24時間に、1時間を60分に等分)が採用されるようになったそうです。

それ以前は不定時法という時制でした。
時刻の基準点を常に日の出、日の入りにすえ、1年を通じて昼間と夜間の時間を各6等分して計12の時刻を定めています。
そうなると昼間の1時間と夜の1時間の長さが違うばかりか、季節によって日出、日の入りが異なるので、同じ昼間の1時間でも春夏秋冬で違ってきます。
まさに近代の始まりは、ランプという光によって、自然を基本とした生活から、時計を基本とした生活に変わったのです。

そして『近代日本のデザイン文化史1868-1926』の最後は、昭和初期の電灯、電球で終わっています。
電気の時代の始まりで、ランプ、ガス灯とは比べものにならない輝きを持つ電灯、電球の普及を論じています。
そこでは都市部の有産階級や中流階級の電気器具の導入が語られていますが、本格的な電化生活は戦後になってからです。
その様な意味では、『近代日本のデザイン文化史1868-1926』の続編が構想されながらも実現しなかったのは、残念至極です。

赤塚行雄氏は『近代日本のデザイン文化史1868-1926』で、デザイン(文化)を通して、詳細に日本の近代化を論じています。
そこでは近代について、あからさまな是非は書かれていません。
しかし、この本の底流にあるのは、近代で失ったものへの惜別ではないかと思います。
氏の他の著作を読むと、そのことが良く分かります。
今現在(2011年4月)、福島で原子力発電所が地震、津波によって制御不能の状態に陥っています。
近代を灯りから読み解いた赤塚氏の洞察力は、わたしたちに、再度近代の意味を問いかけているように思えます。


赤塚氏は評論活動、著作だけでなく、創形美術学校、女子美術短期大学で、学生の指導に当たり、教育の面でも貢献された方です。
本展はその恩返しとして、彼岸に届いたならば幸いです。

ご高覧よろしくお願い致します。


会期

2011年4月11日(月)-4月23日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内