藍 画 廊



市川治之展
”不時着する人”
ICHIKAWA Haruyuki


市川治之展の展示風景です。



展示室の展示は一点で、作品タイトル「不時着する人」で、作品サイズ29(H)× 127.5(W)× 230 (D)cmです。
鉄、鉛、木を使用しています。
その他小展示室に小品三点と自作文庫(短編集)があります。



藍画廊は通常蛍光灯(美術館用)で照明していますが、今回はタングステン(白熱灯)のスポットを使用しています。
幾分暖色系の照明に、広い画廊の床に置かれた一点の立体。
通常とは少し景観の異なる展示です。



「不時着する人」は、ベースが黒に着色した鉄板で、葉巻状の物体は鉛と木で作られています。
原形は中をくり貫いた木で作られていて、それに鉛の板を貼っています。
鉛の板はサイズがまちまちで、それを釘で木に貼り合わせています。

市川さんの作品の多くは、金属や石が一点で支持されていて、それが空中に浮いている構造になっています。
「不時着する人」も、物体が鉄板に接している一点で支持されていています。
その物体は、タイトルからの連想と、形態と質感が、飛行機のように見えます。
まさに、予定外の出来事で不時着したかのようです。



小展示室の二点です。
左は「No Wing-1」(石・木・鉄)で19 × 10 ×11.5、右は「No Wing-2」(石・鉛・木・鉄)で45.5 × 30 × 30です。
二点とも「不時着する人」の物体に似ていますが、足があることに注目して下さい。
その足の上に乗った石は、一ヶ所の僅かな接点で空中に浮いています。
使用している木や石は、市川さんの住いの近くの海岸で採取してきたものです。



本展の問題作(?)、市川(治之介)さんが記した短編小説を二編収録した治之介文庫『不時着』です。
収録されているのは『不時着』と『もうひとり』で、SF小説のスタイルをとっています。
処女作とは思えない完成度と面白さで、『不時着』の方は展示作品と深く係わっています。
その中に出てくるの謎の物体が、このページのトップの小画像です。
(この文庫は売価200円で販売しています。)



わたしの記憶では、市川さんが今回のような「不時着する人」を制作する時は、鉛ではなくステンレスを使ったはずです。
磨き上げたステンレスのモダンな装いが、軽快さを生んだはずです。
しかし今回は、鈍い光を放つ鉛を貼り合わせています。
形状は流線でも、どこなく鈍重な感じをうけます。

鉛は毒性を持っています。
それは小説『不時着』の冒頭にも書かれていて、飛行機に付着した鉛を除去する目的で不時着するのが、話の発端です。
わたしたちの身近なことでは、水道管は以前鉛管でしたが新しいものは鉛が使われていません。
又、自動車のガソリンも有鉛ハイオクから無鉛ハイオクに置き換わっています。

その鉛を、あえて使ったのは、質感だけではないと想像します。
鉛が含む毒も、作品のテーマに含まれていると思います。
流線型の物体は、飛行物体であると同時に人を連想させます。
小品の足の存在が、作品タイトルが、その思いを一層強めます。

大地(黒い鉄板)に接して、自立している流線型の物体。
(小説を読むと)、それは目的地を変更して不時着したようです。
というより、目的地の意味を失って、不時着しました。
出発地から目的地を結ぶ世界から逃れるために、違う世界に不時着したのです。

「不時着する人」は、どこかに諦観を含んでいます。
その諦観は文字通り諦めですが、後悔ではありません。
己に付着した毒を、引き受けてしまう諦観です。
今までの生を引き受け、そしてそこから又歩んでいくことの必要性を悟った、諦観です。

市川さんの「不時着する人」は、立体作品として完結しています。
単純で端正な形態に多くのことを含んでいます。
治之介文庫『不時着』も、短編小説として完結しています。
恐らく立体作品の完成後に著わされた小説と思われますが、「不時着する人」のガイドブックとしても優れた作品です。
その二つ(立体と小説)を併せて観賞すると、作品世界はもっと広がり、楽しみが倍増します。
もしお時間がありましたら、是非お試し下さい。

ご高覧よろしくお願いいたします。



市川治之2001年藍画廊個展
市川治之2004年藍画廊個展
2007年市川治之+橋本伸也展


会期

2009年12月7日(月)-12月12日(土)

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内