藍 画 廊



平田星司展
INTERFACE  ー界面ー
HIRATA Seiji


平田星司展の展示風景です。



画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「No. 9」で、作品サイズ42.5×42.5cm、
「No. 7 —流層」で、42.5×42.5cm、
「No. 6 —流層」で、42.5×42.5cm、
「No. 5 —流層」で、42.5×42.5cmです。



左側の壁面です。
左から、「No. 10」で、42.5×42.5cm、
「No. 8 —暗躍」で、42.5×42.5cm、
「No. 11」で、42.5×42.5cmです。

以上の九点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
画廊内の展示作品はすべて油性塗料を使用しています。
(本展はニッペホームプロダクツ株式会社が協賛しています。)



右壁面の二点です。
一見するとキャンバスに油彩の絵画に見えますが、支持体はありません。
絵具だけで成立っている絵画です。
絵具も一般的な絵画用ではなく、鉄などに用いる油性塗料です。



左壁面の「No. 10」です。
制作の過程を簡単に説明します。
正方形のトレイに油性塗料を流し込み、筆で描いていきます。
力を入れると筆がトレイの底に当たってしまいますので、塗料の沈む力(比重)に合わせて、筆の力を加減します。
描き終えると、トレイから塗料の層を取り出します。
展示されているのは、その塗料の層のそのもので、表面は層の上澄みになります。



同じく左壁面の「No. 8 —暗躍」です。
トレイの中で静かに動く塗料と、平田さんの筆致のコラボレーションともいえる、絵画です。
画廊に平田さんのテキストがありますので、全文転載いたします。

私自身は所詮・・・界と界の間をさまよう人間にすぎず・・・    網野善彦「中世再考」

界面とはある境界をさしている どちらかが一つの界に属しているのではなく
絶えず揺らいでいる場
支持体がないという意味よりは壁にはられた皮膚の軽薄で不安定な佇まい
図と地が一つの色彩がまだ液体のとき画面を
思いどおり操作し支配することはできないが
イメージのすべてを偶然にできたメディウムの動きだけにゆだねず
そうしたアプローチ自体を問いなおす
例えば水の流れに新たな水脈を分離させるようにして色彩を導く
これには比重によって異なる色の浮き沈みを見ながら
抵抗を指先に感じ力を上半身の方へと逃がす受身の動作も加わる
その間にも色は水が氷になるように相転移を待ちながら揮発し続ける

2008年3月 平田星司



正面壁面の「No. 9」です。
皮膚としての、絵画。
混沌の中に筆を入れ、その混沌に任せず、支配もせず、身体で導く。




「No. 7 —流層」です。
画面に見える皺のようなものは、塗料が乾いて縮むときに出来る盛り上がりです。



「No. 6 —流層」です。
マーブル(大理石)模様を彷彿させる、色の流れですね。


わたしたちが見ているのは、世界の表面です。
それを写し取る絵画も、表面の世界です。
しかし、作家は表面の内側へ内側へと、視覚を進めていきます。

顕微鏡で微生物を見ていると、表面とは違う世界に遭遇します。
あらゆるものが動き、変化している世界を見ることができます。
平田さんの絵画は、顕微鏡の世界に似ています。
顕微鏡で見た、液体の流れ。

液体(塗料)は比重によって、静かな流れを作ります。
そこに介入する平田さんは、細心の注意をもって臨みます。
流れの方向に逆らわず、流れを作る。
手先の技ではなく、身体で流れを作っていきます。
液体の力(比重)と自身の力を、上手く同期させながら、流れを作っていきます。

自然界と人間の関係も、似ています。
自然界には流れがあって、その中で、人間は漂っているに過ぎません。
古の人間の知恵は、自然界の秩序を乱さず、自然界の流れに同期しながら、身体で人間の生活を築いていきました。
平田さんの絵画の方法も、同じです。
液体と色彩の流れの中で、自身の表現を追い求めています。

ご高覧よろしくお願い致します。


2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展
2004年藍画廊個展

作家Webサイト



会期


2008年4月28日(月)ー5月10日(土)

5月3、4,5,6日は開廊

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



会場案内