根本美恵展
NEMOTO Mie
根本美恵展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。
左から、作品タイトル「遠くの方まで見えました。」で、作品サイズ1302(H)×805(W)mm、
「心のなかの根っこ」で、1302×970mm、
「ときどき、雨にのって」で、651×801mmです。
入口横右の壁面です。
左から、「消えかけた地図」で、530×530mm、
「sea cleaning」で、530×530mmです。
左側の壁面です。
左から、「反対のかくれんぼ」で、410×318mm、
「みどりのちゃいろ」で、410×272mm、
「あるとないのと」で、274×221mm、
「picnic」で、725×607mmです。
以上の九点が画廊内の展示で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
作品はすべてキャンバスに水彩インクを使用しています。
左壁面の「反対のかくれんぼ」と「あるとないのと」です。
ベージュの地に薄いオレンジ色で描かれた絵画。
ぼんやりした画面には、何が描かれているのでしょうか。
同じく左壁面の「picnic」です。
正面壁面の「心のなかの根っこ」です。
根本さんのお話では、キャンバスに向かう時は、何もモチーフがないそうです。
文字通り白紙の状態で制作が始まります。
タイトルは完成後に付けているそうです。
恐らく、絵と対面して、そこに現れた世界と自身を繋ぐ言葉を探して決めているのでしょう。
右壁面の「ときどき、雨にのって」です。
フワ〜とした画面を眺め続けていると、徐々に奥行きが見えてきます。
そして、色も見えてきます。
最後は、右横壁面の「sea cleaning」です。
掲載した画像では何が描かれているのか、良く分かりません。
実際に画廊で拝見しても、描かれているものは定かではありません。
根本さんは、何を描こうとしたのでしょうか。
根本さんの過去の作品は、水をテーマにして作られています。
ここに大きなヒントがあります。
水。
空気もそうですが、水そのものをを描くことは困難です。
水を透して見える風景やモノによって、あるいは水面に映るモノを通して、間接的に水の存在を描くしかありません。
水そのものは無色透明で、捉えようとすると、逃げてしまいます。
手ですくった水が、指の間からこぼれ落ちるように。
画廊で作品を見ていると、あることに気が付きます。
根本さんは、見えないもの、もしくは在るはずなのに見えないものを描こうとしているのではないか、と。
そう思うと、ぼんやりした画面から突然リアリティを感じます。
見えているものを描かず、(存在はしているが)見えないものを描く。
ここに根本さんの意図と制作動機がありそうです。
水や空気は、生命の源であり、人間にとって必要不可欠なものです。
しかし、それらそのものを描画することは出来ません。
間接的に示唆することしか出来ません。
でも、描こうとする。
絵画の歴史を辿れば、見えないものを描くことは、正統です。
ラスコーの洞窟画から中世の宗教画まで、人間の運命を左右する、見えないものを描いてきたのが、絵画の歴史です。
あるいは、絵画が絵画であるのは、それがあるからです。
単なる精緻な写実であるならば、写真の誕生と共に滅びていたはずです。
小難しい話は、この辺でやめましょう。
根本さんの絵に再び視線を戻すと、豊かな空間に眼が遊びます。
そこに在る優しさに、心が揺られます。
描かれた正体に、感じ入ります。
ご高覧よろしくお願い致します。