藍 画 廊



古屋真帆展
FURUYA Maho


古屋真帆展の展示風景です。



画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。

正面壁面に映っているのは、DVDビデオの映像作品です。
右側壁面には二点の写真作品が展示されています。



左側の壁面です。

三点の写真作品が展示されています。
(一点は画廊入口の斜上に展示。)
画廊内の作品は以上の六点で、その他道路側ウィンドウに一点の展示があります。
写真はゼラチンシルバープリントです。



左壁面角に展示された作品です。
モノクロームの写真が手彩色でうっすらと着色されています。
被写体は古屋さんが陶で制作した人形です。
この少年は、古屋さんの想像上の人物ですが、古屋さんの現実と分かちがたく結びついています。
(喩えていうなら、作家の分身が物語の主人公になっているようなものです。)

古屋さんは、この少年と少年を取り巻く世界、及び少年の眼を通して表現活動を続けています。
表現のメディアは多種多様で、立体、本、映像、写真、ドローイングなどです。
今回は写真と映像ですが、映像の基になったのは自作のブックレットで、これも画廊で見ることができます。


映像作品のワンカットです。
作品の基本は静止画(写真)のスライドショーですが、画像サイズやズームに変化があって、あたかも本をめくっているような感覚が楽しめます。

被写体は少年、風景や事物のクローズアップなどで、多岐にわたっています。
又、所々にテキストが挿入されています。


右壁面の二点です。



手彩色された少年のポートレートと本(市販の絵本)のページのクローズアップです。



スタァの存在は、大衆の夢や願望が特定の人物に結実したものです。
夢や願望が数万あるとすれば、一人のスタァの在り方も数万あります。
つまり、各々が勝手にスタァの存在を規定していることになります。
そして、スタァは遠い存在でありながら、必ず自己と重なり合う部分がある近い存在です。

古屋さんが夢想している少年は、ある意味でスタァのような存在ではないでしょうか。
違うのは、そこを基点にして表現に踏み込んでいることです。
自己投影した仮想に現実を与え、その現実は古屋さんの現実に再び引き戻されています。
その過程をメディアで捉えたのが、古屋さんの表現です。
(メディアが、スタァと同じ映像や写真や本なのは、偶然ではないと思います。)
いわば二重写しにされた現実は、必然的に現実の意味を問うことになります。


ご高覧よろしくお願いいたします。


2001年藍画廊個展
2002年藍画廊個展


会期

2005年8月1日(月)-8月6日(土)


11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内