「世界」展はWebサイトのiGalleryが企画し、銀座藍画廊で開催される展覧会です。
2009年は小林聡子さんに展示をお願いいたしました



わたしは今、ラブレターを書こうとしています。
「世界」という企画展は、何よりもその作品が好きであることを前提にしています。
好きな作品について書くことは、やはり、作品へのラブレターになります。
どうして、どのように作品が好きなのか、告白するのですから。

しかし、それを綴るのは意外に難しいものです。
「貴方は美しい」と百回書いても、説得力がないからです。
問題は、わたしと作品の接点、繋がりです。
別に運命の赤い糸でなくとも、作品とわたし自身を結ぶ何かです。

その結びつきの確信はあるのですが、書く糸口がなかなか掴めません。
そのような時は、再び作品を見るしかありません。
心を無にして、作品を見続けるのです。

現実に見ているのは、作品そのものではなくて作品ファイルなのですが、意外な発見がありました。
2000年の秋山画廊での個展で、その時の展示はiGalleryの展覧会紹介でも取り上げています。
作品はドローイング14点で、紙にボールペンで描いています。



左が展示風景で、右は実際に使用したボールペンです。
作品は小さな点というか丸がビッシリ描かれていて、一見すると、砂の網点のようです。
右のボールペンは、ドローイング作品一点で一本を使い切ります。
制作過程を想像すれば、苦行僧のような描画ですが、実際は淡々と制作されたそうです。
作品も偏執な雰囲気は皆無で、むしろ適度な軽やかささえ見受けられます。
小林さんはネット(網)を素材にした作品を制作していますが、それと共通する感触です。

以上は画廊で拝見した時と変わらない感想ですが、ファイルを眺めていたら、このボールペンのことが気になりました。
さほど珍しくもない、大量生産された、安価なブルーのインクのボールペンです。
軸は透明で、インクの残量が一目で解ります。

この展覧会はドローイング作品で構成されています。
展示の空間構成にインスタレーションの要素はありますが、展示されているのは、平面作品です。
しかし、このブルーインクのボールペンこそが、小林聡子さんの立っている場所なのです。
それにわたしは気が付いて、やっとラブレターに取り掛かることができました。

これは多分に、深読みです。
作家自身が、どの程度ボールペンを意識しているか分りません。
わたしの勝手な思い込みかもしれませんが、それでも良いと思っています。
作品への愛情は、存外そのようなものを含んでいるのですから。

一本のボールペンを使い切って、一点のドローイングを描きあげる。
(つまり、ドローイングの完成は、ボールペンのインクを使い切った時と想像した場合。)
この過程は、ボールペンのブルーのインクを紙に移す作業です。
ボールペンの軸の中のインクを紙に転送、定着する作業が、実は、このドローイングの実体なのです。
描くという行為を、異なる角度から見れば、そうなります。
そう思って作品を見ると、作品の見え方が変わって、不思議な感じがします。

点描はほぼ毎日続けられましたが、その日の体調や気分によって、画面の密度や筆圧が微妙に異なったそうです。
その結果、平均に点描されるはずが、画面に微かな濃淡や斑(まだら)が生まれています。
同じ大きさの作品を並べてみれば、微妙に画面が違う14枚の「絵」。
「絵」は、単調に繰り返されているように見える日々の、多様性を表しています。
恐らくそこに作品のテーマが隠されていて、その多様性こそが、生きることの意味に繋がっています。

他方、14点のドローイング作品の背後には、軸の中のインクが空になった14本(かそれ以上の)のボールペンが存在します。
もちろんそれは展示されていませんが、これも小林聡子さんの作品に違いありません
小林さんの作品をご覧になっている方なら、想像できると思います。
透明なプラスティックの軸で、ブルーのインクが空になったボールペン。
ヘッドとグリップはインクと同じブルーです。
それが14本並んでいる。
どのように並んでいるか不明ですが、恐らく、小林さんの並べ方で並んでいるはずです。



上は小林さんが文化庁の在外研修として、タイのチェンマイで発表した2006年のインスタレーションです。
「Light」というタイトルの、光をテーマにした作品です。
木漏れ日のコンクリートに並んでいるのは、ボールペンと同じように、大量生産されたプラスティックのコップです。
ありふれた水色のコップで、どれも使用した形跡が見られます。

このコップのインスタレーションが与える印象は、浮遊感です。
半透明のプラスティックのコップの質量と色は、頼りないくらい軽く、質感もチープです。
それでも、ローコストで、落としても割れない、着色が容易などの理由で普及しています。
この作品は、コップの欠点(材質のチープさ、軽さ)を、光の作用を利用して、美しさに変換しています。
つまり同じ軽さでも、光と戯れて、心が浮遊するような空間に変容させているのです。

話をボールペンに戻すと、筆記用具でボールペンが主流になったのは、そう昔のことではありません。
鉛筆や万年筆に比べ、削ったり、インクを補充する手間がないボールペン。
1970年代には1本100円前後の低価格になり、品質や書き味も改良されて、広く使われるようになりました。
安価なボールペンは基本的に使い捨てで、インクを使い終えたり、インクが詰まると、それは惜しげもなく捨てられました。
それは、大量生産、大量消費の時代を象徴するような商品です。

つまり、小林聡子さんの作品の立っている所とは、そのような場所で、そこから作品を紡ぎだしています。
そして、わたしの立っている所も、そのような場所なのです。
プラスティックの透明な軸のボールペンが、大量に作られ、無造作に捨てられているような世界に住んでいるのです。

消費の入口は、華やかなものです。
魅惑的な装いが、わたしたちを執拗に誘います。
しかし、小林さんが目を向けているのは、そのような場所ではありません。
モノが虚飾を剥ぎ取られて、モノそのものとして存在しているような所です。
あるいは役目を終えて、ヒッソリと佇んでいるモノたちと、その場所です。
その場所こそが、わたしたちの生きている世界であり、わたしたちの風景はそこから始まるのです。

初期にあたる1992年のギャラリー現のインスタレーションでは、多様な素材を使用していますが、その中には廃棄されたモノもあります。
打ち捨てられた、建材の断片や破片です。
木や金属もありますが、とりわけプラスティックの褪色した色合いや、欠けた形の美しさが、何ともいえません。
陽に照らされ、光を蓄積したプラスティックは、その過ぎた時間を静かに語っています。
小林聡子さんが表現者として出発したのはこのような場所で、今もそこに留まっています。



通り抜けるもの
透けるもの
空洞を抱え込むもの
遠く深い青よりはその位置が曖昧な水色
そしてそのものよりはその余白

天と地の間に立つ不安定な身体感覚
そのおぼつかなさと複数性


作品ファイルのプロフィールカードに掲載されている、小林聡子さんが記した一文です。
1997年の作成ですが、この一文は、小林さんの初期から現在までの作品を的確に表現しています。
これに付け加える言葉はほとんどありませんが、最後の複数性について少し書いてみます。

小林さんの作品は、ほとんどの作品が複数性を備えています。
それは平面、立体、インスタレーションを問いません。
あのボールペンのドローイング作品も、端正な方形の平面が連なる美しさを有しています。
最近作である2008年の秋山画廊の展示も、複数性が顕著に出たインスタレーションです。



トレーシングペーパー(小林さんらしい素材です)で作られた容れ物のような作品は、ボールペンやコップと違ってハンドメイドですが、そこに大きな差はありません。
このインスタレーションと水色のコップのインスタレーションは、屋外と屋内の違いはありますが、よく似ています。
光がコップと紙の容れ物を透過しながら散乱していて、空間を、透明感のある柔らかなものにしています。

小林さんの作品は、比較的少ない要素で構成されています。
饒舌を嫌うタイプだからです。
このインスタレーションも例外ではなく、開口部を大きく上に向けた、容れ物のような立体が多数置かれているだけです。
その様子は寡黙ですが、存在の佇まいが、何とも優しく映ります。

作品を見ていると、複数性には二つの意味があるようにみえます。
一つは、同じモノが規則的に並べられる整合された美しさで、もう一つは、一見同じようなモノの多様さです。
紙の容れ物の大きさは、ほぼ同じくらいで、色も似かよっています。
ただし、並べてみれば、同一ではないことは明瞭です。
型(パターン)で作ったようでいて、それは個々に異なった存在です。
コップの作品も同様で、同じに見えて、使用された日数や状況によって全部違っています。

この矛盾するような二つの意味を内包した複数性は、平面作品にも見られます。
前述したボールペンのドローイングです。
一定のスペースを一定の点描で埋めていく作業の繰り返しで、ドローイングは完成します。
ただ単に点を打つ作業ですが、それが日によって、密度と濃淡が微妙に異なります。
そして完成した同じような「絵」を並べれば、似たような「絵」の違いが、作家とその日々を映しています。

画廊の床に置かれた、紙の、柔らかで頼りなげな存在。
しかし、この存在の開かれた状態は、決して弱々しくはありません。
光を浴び、風に揺らぎながら、ただそこに存在しています。
注がれるものに形を与える容れ物として、そこに並んでいます。
同じような色と形で、しかも様々な存在として、そこに美しく在ります。

ご高覧よろしくお願いいたします。


iGallery企画 「世界」2009
小林聡子展
KOBAYASHI Satoko

2009年3月16日(月)-3月28日(土)
20日(祝)、22日(日)休廊
11:30-7:00pm(最終日-6:00pm)

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