iGallery's eye vol.5
永冶晃子展ー時間を思う場所ー(1)
永冶晃子展ー時間を思う場所ーの会場は現代HEIGHTSです。
現代HEIGHTのギャラリーは、Gallery Denと.STの二つの展示室があります。
本展は二つの展示室を同時に使用しています。
最初にGallery Denの展示からご案内いたします。
Gallery Denはカフェスペースの奥にある広い展示室です。
展示は二点で、いずれもビデオインスタレーションです。
左は作品タイトル「水景のむこう」で、右は「雨窓」です。
照明を落とした展示室の空中に、長方形の映像だけがが浮いています。
上の画像では分かり難いのですが、映像は壁に投影されているのではなく、空中に浮いたスクリーン(アクリル)に映されています。
手前側のビデオインスタレーション「雨窓」で、投影サイズは910(H)×695(W)mm、アクリル・DVD・プロジェクターを使用しています。
映像は雨の夜景です。
画面下部の灯の見える場所は交差点で、クルマが行き交っています。
その交差点には信号があって、今は赤が点っています。
この夜景は窓越しに撮影されていて、ガラス窓に雨が降り注いでいます。
打ちつけられた雨滴は、時折ガラス面を流れて、水の筋を作っています。
しばらく眺めていると、落雷があって、一瞬空が明るい紫色に変化します。
同じ「雨窓」ですが、よく見ると信号は青に変わっています。
この信号の変わる数サイクルが「雨窓」の作品の長さで、およそ2分30秒になっています。
それをループで繋いであるので、映像は途切れることなく続いています。
この水滴の付いた窓は、住宅の窓なのか、それともクルマのフロントウィンドウなのか。
いずれにしても、その窓を切り取って、風景ごと展示したかのようです。
余分な要素がなく、とてもシンプルでストレートな表現のビデオインスタレーションです。
スクリーンを眺め続けていると、一見普通の景色のように見えて、どこか違っています。
窓の水滴の動きが、何となく違うのです。
ボンヤリ眺めていると気が付きませんが、どうやら、風景の中の時間は一つではないようです。
このビデオの時間経過はリアルタイムで、信号の変化(赤から青)と同期されています。
つまり実際の信号の変わるまでの時間と、映像の信号の変わるまでの時間は同じです。
ところが、その変わるまでの時間は同じですが、映像は編集されています。
同じ赤や青の信号の場面で、画像の速度に変化があるのです。
巧みに編集されているので、不自然な感じはしません。
ここで提出されているのは、時間です。
雨が降るという自然の変化で感じる時間と、信号の変化という時計時間です。
この二つを交錯させながら、雨窓で時間の姿を描いています。
水滴の付いた窓を、そのままスクリーン(窓)に置き換えるというコンセプトが秀逸で、わたしたちはその窓越しに時間のドラマを見ることができます。
奥側のビデオインスタレーションは「水景のむこう」で、砂、DVD・プロジェクターを使用しています。
床に敷かれているのは白い砂で、それが壁と共にスクリーンの役目も果たしています。
映されているのは、水滴です。
水滴の、ユックリと水に落ちる様子が映されています。
水滴は雨で、水の入った水槽を底から撮影しています。
空から堕ちてくる水滴を、真下から映し出しています。
「水景のむこう」の作品の長さは約3分で、落ちる水滴(雨)に重なる形で、樹葉、青空、海流の映像が投影されます。
この作品もループになっていますので、エンドレスで上映されています。
上は海流の場面です。
今度は樹木の葉が映し出されています。
これは水底から見た樹葉のようです。
「雨窓」がジャストサイズでスタイリッシュな作品としたら、「水景のむこう」はスケールの大きい、詩のような作品です。
大らかな時の流れを堪能できる作品です。
水を媒介にして、移り変わる場面は、ほとんどモノクロームです。
しかしそれが逆に想像力を刺激して、見飽きることがありません。
ここで表現されているのは、時間そのものです。
単なる経過や変化を超えた、時間のダイナミズムです。
永冶晃子展ー時間を思う場所ー(2)に続く