iGallery's eye



iGallery's eye vol.5
永冶晃子展ー時間を思う場所ー(2)


永冶晃子展ー時間を思う場所ー(1)の続き

続いて.STの展示をご覧いただきます。
.STはカフェの入口左にある小展示室です。



入口入って左の壁面です、
左から、 作品サイズ27.4(H) ×41.4(W)cm、27.4(H) ×41.4(W)cm、41.5(H) ×27.2(W)cmです。



正面の壁面です。
二枚組の作品で、共に31.5(H) ×48.2(W)cmです。



右側と入口横の壁面です。
左は二枚組の作品で、共に41.3(H) ×57.7(W)cm、右は59.0(H) ×39.2(W)cmです。

作品はすべてラムダプリントとフォトアクリルを使用しています。
又同様の写真作品一点がGallery Denの芳名帳スペースに展示されています。



左壁面の作品です。
ビデオインスタレーションの作品と違い、.STは静的な作品です。
しかしテーマは同じ、時間です。
写されているのは風景ですが、この空間は「時間を思う場所」です。
わたし流に言い直せば、「時間が在る場所」ではないかと思います。



左側壁面の二枚組作品です。
高台から望んだ水辺の風景です。
視点を少しだけ横に振っただけですが、見事な構図の二枚組です。
ここにも「時間が在る」と思います。
もう少し正確に言えば、時計時間ではない時間が在る場所です。



入口横壁面の作品です。
これも高台から望んだ風景で、雲海の下には海が見えます。
いずれの写真も、空間以上に時間を感じさせる作品です。
そこにある時間は速くも遅くもなく、過ぎるのではなく、在ります。
そこに現に在って、景色と一体になっています。


時間は、目に見えません。
それを便宜的に視覚化したものが時計ですが、それは単に時間を数値に置き換えただけです。
ところが、わたしたちはその時計の時間に囚われ、それを時間そのものと勘違いしています。
時間が無い、時間に追われる、などの言葉はその証左です。
時間は有ったり無かったりするものではなく、余裕があったり追われるものでもありません。
時間は、そこに在るだけです。

永冶さんの作品は、時間を視覚化するのではなく、水を媒介にして表出させます。
数値ではなく、水という物質の運動を通して、実感させます。
在るということを、美術で表現しています。

そして、水が表出する時間は、生命と分かち難く結びついています。
永冶さんの作品が映す(写す)のは風景であって、人や生物ではありません。
しかしそこに、わたしは生命(いのち)を感じ取ることができます。
生命にとっての時間を、ビデオから写真から感じ取ります。
つまりそこに在るのは、わたしたちの本来の時間です。

ご高覧よろしくお願いいたします。

iGallery's eye vol.5 永冶晃子展ー時間を思う場所ー
2009年 6月25日(木)ー7月7日(火)
13:00ー22:00(初日のみ15:00ー22:00)
水曜定休

(永冶晃子 2006年藍画廊個展

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