iGallery's eye


iGallery's eye vol.6
伊藤知宏展"Rakugaki"(1)

 

伊藤知宏展"Rakugaki"の会場は現代HEIGHTSです。
現代HEIGHTのギャラリーは、Gallery Denと.STの二つの展示室があります。
前回の永冶晃子展と同様、二つの展示室を同時に使用しています。
最初にGallery Denの展示からご案内いたします。



カフェから見て、正面の壁面です。
左から、作品タイトル「Flower_&_Road」、「Flower_&_Theater_01」です。



右側と入口横の壁面です。
左から、「Playground_Equipment」、「X_on_the_Street」、「Flower_&_Theater_02」です。
以上の五点がGallery Denの展示です。



正面壁面の「Flower_&_Road」です。
「Flower_&_Road」は、百合の花の輪郭がカッティングシートで大きく描かれ、その中心に絵画が設置されています。
絵は世田谷区北沢周辺、つまり会場である現代HEIGHTの近所を描いています。
鈴なり横丁のサインが見えるので、下北沢辺りの景色と思われます。
黒い画面に赤が印象的ですが、雨か雨上がりの天気で、濡れた道路に電飾が映っています。
自転車に乗った男性は中年で、びしょ濡れの状態だそうです。



絵の部分です。
遠目ではベニヤのパネルに見える画面ですが、近づくと、不思議なマチエールであることが分ります。
薄くスライスした木っ端を無秩序に積層したようなパネルです。
パネルは他の作品すべてに使われていて、この質感が作品の感触を大きく左右しています。



作品「Flower_&_Theater_01」です。
これも周囲に花をあしらった作品で、絵は上の「鈴なり横丁」の部分の拡大です。
一見するとオブジェのように見える、面白い作品。



右壁面の「Playground_Equipment」です。
公園にある遊具をモチーフにした作品で、動物の乗り物が多視点から描かれています。
豊島園のフライングパイレーツと同じコンセプトの作品ですが、こちらは整然としたシステマティックな造りになっています。



同じく右壁面の 「X_on_the_Street」です。
不用になったエアコンの屋外機を、同じように多視点で描いています。
しかし描画は対照的で、不用品のジャンクな雰囲気が良く出ています。



最後は入口横壁面の「Flower_&_Theater_02」です。
これは「Flower_&_Theater_01」の別ヴァージョンともいえる作品で、「鈴なり横丁」の「なり」に重なるように百合が白く描かれています。


伊藤知宏さんは、絵が描ける作家です。
"Rakugaki"というサブタイトルや、一見すると素人臭い描画に騙されはいけません。
相当に描ける人です。
これはわたし個人の見解というより、プロの絵描きの感想です。

ではなぜ描ける人が、そのように(上手そうに)描かないのか。
伊藤さんの描くのは街の景観ですが、その街のリアリティを捉える為に、彼は彼の方法で描いているのです。
街のグラフィティが、如何に景観を汚していようとも、それが街のリアリティとして存在しているように。

伊藤さんは、路上の作家です。
路上に居て、景色を再構成して、自分の景色に作り替えます。
その作業は、多分に音楽的で、収集した景観を自由自在にカット&ペースト、クローズアップして、リミックス(再構成)します。
しかし誤解して欲しくないのは、そのような形容が物語る、流行りの絵画とは異なります。

伊藤さんが拘っているのは、具体的な景色、景観です。
抽象的な思想でも個人的な物語でもありません。
ある街の、ある場所の、路上の具体です。
それは何でしょうか。

伊藤さんの絵画は、多分に身体的です。
手ではなく、身体で絵を描いています。
そして、伊藤さんが路上に置いているのは、自身の身体です。
ライブという言葉は、その身体性と現場性を現し、「生きる」実感をも表しています。
伊藤さんがライブペインティングを好む理由も、そこにあると思います。

わたしたちに欠落しているのは、「生きる」「生きている」という実感です。
「生かされて」いても、「生きる」実感に乏しいのは事実です。
伊藤さんの作品が追求しているのは、生の実際です。
街の具体と身体に、生の実際を求め、それは画面をはみ出す花に象徴されています。
しかしそれはロマンティシズムではなく、切実な希求です。

伊藤知宏展"Rakugaki"(2)に続く