iPhone's photo(14)の続き
前述したように現代のデジカメの性能は成熟しています。
普通に撮れば、誰が撮っても間違いなく、キチンと写ります。
キチンと写りますが、一眼レフとコンパクトデジカメでは、やはり写りが違います。
コンパクトデジカメと携帯のカメラでも、(たとえ画素数が同じでも)違います。
皆同じだったら、何も高くて重い一眼レフなど誰も買いません。
確かに写りは違うのですが、通常のL版でプリントする分には、そんなに違いが出ません。
L版ぐらいの小ささでは、カメラ性能の違いがほとんど出ません。
逆にいえば、コンパクトデジカメなどの低価格カメラの性能が高くなったといえます。
もちろん高価な一眼とレンズでプロが撮ったプリントと、シロートのコンパクトのプリントでは、違いは明らかに出ます。
それがA4程度の大きさになると、その差はもっと大きくなります。
写真を記録ではなく、映像作品として撮る場合、その違いは見過ごせません。
それがどんなに小さな違いであっても、表現の本質に関わってくれば、慎重に機器や紙を選択します。
一般的には、表現に適した解像度の高いカメラやレンズを選んで撮影します。
しかしごく稀に、その逆を選択したり、一般性(汎用性)を優先する場合もあります。
極端な場合は、画質の悪い方を選ぶ場合があります。
上の画像は過去にiPhotoのページで使用した画像です。
そのページをパソコンのモニターに映し出し、iPhoneを近づけて撮影したものです。
当然、画質は劣化しています。
意図的に画質を劣化させる手法は、現代美術では珍しくも何ともありません。
わたしの場合は、ただ単にその手法で遊んだだけですが、劣化を美に昇華させた優れた作品もあります。
画像を劣化させると、そこにノイズが混入します。
そのノイズこそが作家の意図で、その歪みに何かが潜んでします。
アンディ・ウォーホールの一連の写真を使用したシルクスクリーンの作品は、そのノイズがテーマになっています。
あの平板さと、不安を助長させるようなノイズは、ウォーホール作品の特質です。
写真に限りませんが、表現意図を反映させるためには、技術が必要です。
しかし技術だけが優れた写真は、あまり面白くありません。
なぜなら、視点が凡庸で、撮られたものに過剰がないからです。
(過剰な技術は、それが意図であればテーマになり得ますが。)
わたしはある時、ある作家の写真を見て驚いたことがあります。
その写真は、ごく普通のコンパクトデジカメでオートで撮られたものでした。
作家は写真の初心者で、ほとんど技術的なことは解っていません。
しかしその写真の視点には驚かされました。
「このような写真の撮り方もあるのか!」。
その視点だけで成立っている写真作品には、必要最小限の技術しか使っていません。
しかしその作品に限れば、それで充分でした。
その後、作家は技術も徐々に習得していって、表現の幅を広げていきました。
視点と技術の幸福な相互作用ですが、最初に見た、視点だけが際立った作品のショックは忘れられません。
長々とつまらないお喋りを書いてしまいました。
画像も凡庸なもので、申し訳ありません。
一つ説明させていただくと、iPhoneのアプリにエフェクト(画像に効果を施す)が八種類プリセットされているものがあります。
通常はそのうちの一つを(例えばモノクロ)設定しておくのですが、ランダムという設定もあって、適当にアプリの方でエフェクトを選んでくれます。
ランダムにしておくと、撮影した画像にどのようなエフェクトがかかっているのか、適用されるまでわかりません。
一種のギャンブルです。
今回の画像の多くは、その偶然性に頼ったものです。