iPhoto



「探偵物語(74)」


五月の連休明け 、昔お世話になった先輩から電話がありました。
わたしが都内の探偵事務所に勤めていた頃の先輩で、探偵業務のイロハを教えていただいた方です。
その探偵事務所には、古くから経理を担当していた部長がいました。
先輩からの電話は、その部長が亡くなったとの連絡です。

通夜には、先輩を始め当時の所員が何人か集まるそうです。
通夜の後に皆で飲む予定だから、と先輩からお誘いを受けました。
わたしはスケジュールを調整して、通夜に参列することにしました。

通夜は、都内のセレモニーホールで営まれました。
焼香を済ませると、わたし達は近くのバーに席を移しました。
久し振りの顔ぶれで、しばらくは近況報告に話が咲きました。
アルコールがすすむと、大きな話の輪は個別に分かれて行き、わたしは先輩と話し込みました。

わたしが探偵事務所に入所して五年後、先輩は退所して独立しました。
仕事の能力の高い人ですが、業務を拡張することには無関心で、今でも所員数人の小さな事務所の所長です。
とにかく、調査の正確性を重んじる主義で、ウラを取ることを怠りません。
人の何倍も手間暇かけて、一歩一歩調査を進めるタイプです。

そんな先輩が、ある失敗談を話してくれました。
それは独立してから数年後のことだったそうです。



探偵業に拘わらず、仕事の目的は金銭的報酬ですが、それだけで仕事をするわけではありません。
仕事にはやり甲斐とか喜びといった、精神的な要素もあります。
探偵業にも当然それはあって、苦労した調査が無事終わった時の達成感は格別です。
特に人探しで、長い間不通だった人と人との糸を結びつけられた時は、仕事に喜びを感じます。
それが長期で、しかも苦労の多い調査であればあるほど、喜びと充実感は増します。

先輩がその人探しの依頼を受けたのは、独立してから間もないころです。
依頼人と所在確認者(人探しの対象)の関係は、甥と叔父で、叔父は二十年ほど前から所在不明になりました。
その叔父には大変世話になったそうで、何とか探し出して欲しいとの依頼です。
提示された調査資料は乏しく、時間が掛りそうでしたが、幸い調査費用には余裕がありました。
先輩はいつものように丹念な調査を積み重ね、大都会東京で、探索の網を狭めていきました。

しかし、調査途上で、気になる事実が浮かんできました。
それは依頼された調査とは直接の関係はないものの、どこか無視できない事柄でした。
叔父には亡くなった先妻の間に一子があり、後に再婚して又一子が生まれています。
問題は先の一子で、この人も所在が不明になっています。
幼いころに施設に預けられたようで、その後については、親戚の誰も知りませんでした。



調査の開始から半年の後、叔父の所在は確認され、調査報告書の作成になりました。
叔父は私鉄沿線の古い木造アパートで、ヒッソリと生活していました。
その時、先輩は一抹の不安を感じたそうです。
細い糸を丁寧に手繰(たぐ)って、やっと辿り着いた対象者。
間違いなく対象者なのに、何か腑に落ちないところがあったそうです。
それが何なのか分らないまま、結局、報告書が提出されました。

二ヶ月後、二人の刑事が事務所にやって来ました。
都内の警察署に属する刑事で、殺人未遂事件の聴取です。
被害者はあの叔父で、一命は取り止めたものの、重傷を負っています。
加害者は、依頼者の男でした。

二人の間柄は、叔父と甥ではなく、親子でした。
甥とは偽りで、依頼者は先妻との間に生まれた子供でした。
刑事からこの事実を告げられた時、先輩はその失態に打ちのめされました。
関係を見誤ったのは、どのように弁明しようとも、仕事上の過失です。

刑事の話では、加害者の男は、父親に捨てられたのでした。
幼児の時に、施設の玄関に置き去りにされ、そこで育ちました。
父親は、妻の死と時を同じくして仕事上のトラブルが続き、育児を放棄して、行方を眩ましたのでした。
施設の配慮で捨て子の件は隠されていたのでしたが、ある時、男の知るところとなりました。

男が父親に殺意を持ったのは、育児放棄だけではなかったようです。
再会後にも諍(いさか)いが生じて、事件が起きたとのことです。
ただ、関係を偽って調査を依頼したのは、やはり相応の恨みがあったようです。
恨みのカモフラージュと、自身の過去を知られたくない為に、叔父と(実在した)甥になりすまして、調査を依頼したのでした。



依頼者が身分や(調査対象者との)関係を偽ることは、たまにあります。
依頼者にもいろいろな事情があり、調査に支障がない限り、問い質す必要もありません。
薄々虚偽だと分っていても、そのまま話を進めることもあります。
このような事件に発展することは稀、といっていいでしょう。

依頼人の言動が自然だったのか、先輩はすっかり甥と思い込みました。
もし多少でも疑いを持ったなら、簡単に見破れたはずです。
何しろこちらは探偵ですから。
あの先輩ですら、思い込みや先入観に左右されて、最後まで気が付かなかったのです。

先輩が悔やんだのは、もし親子だと知っていたら、未然に事件が防げた可能性です。
親子の関係に只ならぬものを感じたら、調査を中止していたかもしれません。
いや、必ずそうしていたでしょう。
その思いが、いつまでも先輩を苦しめたそうです。

話はそこから、昨今の家族関係に及びました。
お互いの育った家庭環境や今の家庭の様子、それから調査で知った複雑な家庭や家族の話。
時間の経つのも忘れて、話題は続きました。

「探偵物語(75)」に続く