団野雅子展
DANNO Masako
団野雅子展の展示風景です。
団野雅子展は11点の絵画作品で構成されています。
作品の詳細をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側壁面左端の作品です。
タイトル「松」(金箔、岩絵具、膠、パネル)でサイズ34×19cmです。
左壁面、左から2番目の作品です。
「祝祭」(ジェッソ、透明水彩、胡粉、パネル)で74×117cmです。
左壁面、左から3番目、右端の作品です。
左は「昇仙舞雪1」(ジェッソ、胡粉、アクリル絵具、パネル)で91×60cm、
右は「昇仙舞雪2」(ジェッソ、胡粉、アクリル絵具、パネル)で91×60cmです。
正面壁面の作品です。
「寒梅」(和紙、墨、日本画絵具、膠、パネル)で72×117cmです。
正面壁面エアコン下の作品3点です。
左は「祝祭」(和紙、墨、日本画絵具、膠、パネル)で27×16cm、
中央は「月冴ゆる」(和紙、墨、日本画絵具、膠、パネル)で24×41cm、
右は「ネコヤナギ」(和紙、墨、日本画絵具、膠、パネル)で60×17cmです。
右壁面、左端の作品です。
「冬暁」(和紙、墨、日本画絵具、膠、金粉、パネル)で65×100cmです。
右面壁面、中央の作品です。
「桜」(銀箔、墨、胡粉、岩絵具、膠、墨、パネル)で65×100cmです。
右壁面、右端の作品です。
「昇仙」(金粉、墨、日本画絵具、胡粉、パネル)で30×90cmです。
<作家コメント >
老子 40章
反者道之動 反はタオ道の動
弱者道之用 弱は道の用
天下萬物生於有 天下萬物有に生じ
有生於無 有は無に生ず
「道」タオの動きは「反」である。あらゆる物の在り方の内部に反対の動きが働いている。
「弱」くて目立たない小さな存在が生かされているのが「道」タオである。
この世に在るものすべては、それぞれの起源、すなわち「有」を持っている。
「有」とは生まれること。「生まれる」ということは「名付ける、名付けられる」ことに他ならない。
「名付けられたもの」はもともと「名はない」のだった。
あらゆるものの活動は、その内部に「反」の働きがあって成就する。(木下長宏)
ご存じの方も多いかと思いますが、日本画というジャンル(名称)は明治以降にできたものです。
江戸時代にも、その前にも日本画は存在していませんでした。
明治維新の時期に、西洋画と区別する意味で、伝統的な絵画を(十把一絡げにして)そう名付けたのでした。
だからなのかどこか据わりの悪い響きがあって、今でもその定義がハッキリしません。
団野さんは日本画の画材を使っていますが、日本画家ではありません。
端的に美術家、画家であって、学校で学んだことも、日本画家に師事したこともありません。
ただ絵画の伝統には十二分に関心があって、絵画そのものの成り立ちを常に考察しています。
絵画への自己言及という意味では、現代美術的なアプローチと言えるかもしれません。
団野さんの伝統への視線は、いわゆる回帰とは異なります。
わたしの想像では、自身の足下、つまり立っている場所への思考に原点があるように思えます。
伝統は直線で語ることのできるものではありません。
多様な要素が混じり合って、伝統は形成されていきます。
美術も然りで、純粋な日本固有のものなどありません。
言うまでもなく中国や朝鮮の影響下で日本の伝統的美術は続いてきました。
逆に言えば、伝統を守るという発想が出た時点で、伝統の命運は尽きるのです。
ギャラリーの左壁面に展示されている「祝祭」。
一見風景に見える画面を良く見れば、カボチャの種が人の頭となった群像であることに気が付きます。
収穫を祝う祭り=祝祭の図です。
ここには伝統と今が違和感なく溶け合っています。
絵画の核にある概念と形式、様式が、団野さん流に更新されているのです。
それはまったくの新しい地平ではなく、自分の立ち位置から生まれた視点であり、画法です。
それこそが伝統への接続と返礼ではないかと思います。
ご高覧よろしくお願い致します。
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団野雅子展
会期:2022年1月13日(木)〜1月30日(日)
開廊日:木・金・土・日
時間:12:00〜18:00
会場アクセスと展覧会スケジュール