岡野亜紀子展
OKANO Akiko
岡野亜紀子展の展示風景です。
各壁面の展示です。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
正面の壁面です。
右側の壁面です。
入口横の壁面です。
岡野亜紀子展は以上の8点で構成されています。
作品のタイトルはすべて「Untitled」です。
作品の詳細をご覧下さい。
左壁面、作品A( 和紙、膠、岩絵の具、ピグメント)の左側部分です。
左壁面、作品Aの右側部分です。
正面壁面、作品B( 和紙、膠、岩絵の具、ピグメント)と作品C(絹、膠、岩絵の具、ピグメント)です。
右壁面、作品D( 和紙、膠、岩絵の具、ピグメント)の左側部分です。
右壁面、作品Dの右側部分です。
入口横壁面、作品G( 和紙、絹、膠、岩絵の具、ピグメント)です。
その他、天井から吊り下げられた作品E(膠、岩絵の具)、作品F(膠、岩絵の具)、床置の作品E&F(はまぐり、岩絵の具)、入口ドアの作品H(和紙、絹、膠、岩絵の具、ピグメント)があります。
左壁面に展示された作品のピース=ドローイング(300×400mm)二枚です。
このピースが全体で158枚あります。〈作家コメント〉
寝入りばな
ある朝、緊張して目が覚めた。
それは、懐かしい夢を見たから。
「あ。この夢、コドモの頃によく見てた!」当時。
熟睡する直前にその夢を見ると、
なぜか緊張し、
そのまま、スコンと意識がなくなっていた。特に怖いものじゃなかった。
けど、
妙な不安定感があった。久しぶりに見たその夢は、
色も雰囲気も当時のままだった。久々にその夢を見れた日は、朝から雨が降っていた。
仕事場に行く途中の、
修復されたばかりの黒々としたアスファルトの路面には、ところどころに水たまりがあった。そして、自動車から落ちただろうオイルが、
水たまりの中で、
ヌラ~っとラメっぽくテラテラしながら静かに揺れていた。少し前に見た夢は、こんなにケミカルな雰囲気ではなかったけど、
それでも、
「こんな感じじゃないよね?」て、就業前のバタバタで忘れそうになっていた「それ」を思い出させてくれた。
(電気自動車だけになったら、
そんなリマインドは見る機会はなくなるのかな?)その夢は。
大きなお盆のようなものの中に張られた、
水のようなものの表面に、
いろんな色がゆっくり流れてる。そのお盆のようなものは、
安定感のなくなった独楽のように、
上下しながらゆっくり自転しているので、
きれいな色の水が今にもこぼれてしまいそう。。。今回。
それをカタチにしてみようとするうちに、
何か音がするのだろうか?
興味が湧いてきた。夢の中では意識した事がなかった音を、
聞いてみたくなった。「音付きの」アレが見たい!て思っても、
そう簡単にアンコール上映ができないので、
試しに、作りかけの作品を軽く当ててみた。
カサカサ(乾いた)
カサカサ(少し重たい)
。。。。(無音)ひょっとしたら。
あの映像に何か音がついたら、
寝入りばなの緊張状態がなくなるかもしれない。そう思って、夢から少し踏み込んでみた。
夢の話は当人が思っているほど、他人(ひと)には面白くありません。
多分に夢の論理が通常の論理構造と異なっていて、その面白さがなかなか伝わらないからだと思います。
しかしそれを視覚化すると、なぜか俄然面白くなります。
シュールレアリズムを持ち出すまでもなく、藍画廊で今年は二回も夢をモチーフにした作品が展示されました。
今回の岡野さんと1月の倉本麻弓さん。
倉本さんは夢の場面をミニチュアの立体で再現したものでしたが、岡野さん場合は色彩とドローイングで夢に迫っています。
画廊全体を半透明の紙やオブジェで覆い尽くした岡野さんのインスタレーション。
色とりどりのドローイングに囲まれて、万華鏡の中にいるようです・
画廊に入れば、みんな(岡野さんの)夢の中です。
倉本さん同様、多くの人を自分の夢に招待するのは結構楽しいかも。
夢は無意識、深層心理の反映と言われています。
思ってもみない夢に、頭をヒネったり、どこか合点がいったり、夢は不思議です。
嫌な夢は見たくなくても、夢をまったく見ないのもつまらない。
やはりどこか夢は自分の鏡のような存在なのかもしれません。
美術作品もまた、鏡のような存在で、人や社会を映し出します。
夢を合せ鏡のようにした美術作品は多く、その複雑な心理の奥深いところへ人を誘います。
岡野さんのインスタレーションもポジティブなようで、どこか不安が見え隠れする。
その両面性こそが生きることで、それが本展のテーマの一つではないかと思いました。
ご高覧よろしくお願いいたします。会期
2019年9月30日(月)ー10月5日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内