永冶晃子展
時を思う窓
NAGAYA Akiko
永冶晃子展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面の壁面です。
作品タイトル「揺れる霧の音」で、サイズ可変、DVD(2分40秒・ループ・エディション 3)です。
右側の壁面です。
「時を思う窓」で、サイズ可変、DVD(3分40秒・ループ・エディション 3)です。
小展示室です。
壁面が「定点を打つ」で、サイズ可変、DVD(1分50秒・ループ・エディション 3)です。
台の上の2冊の冊子は「その時をつくる為のドローイング」で、20×7.5×2.5cm、デジタルプリントを製本(マルチプル)です。
以上の3点のビデオ作品と1点の冊子で永冶晃子展は構成されています。
正面壁面のビデオ作品「揺れる霧の音」の映像です。
撮影場所は箱根の大湧谷付近。
山の中央付近に見える木のようなものは、ロープウェイの支柱です。
山腹に霧がかかってきました。
ビデオは霧がかかる様子を2分40秒に渡って映し出しています。
ただし実際の撮影時間はほぼ映写時間の倍で、編集で圧縮してあります。
山腹に霧がかかる映像は、ゆったりとした時の流れを感じさせます。
その流れを強調するかのように、一瞬映る数羽の鳥の飛来。
映像は色彩や構図が端正で、あたかも美しいスチール(静止画)の連続を見るようです。
右側壁面の「時を思う窓」のワンシーンです。
この作品は5つの映像を編集したもので、上は永冶さんが以前住んでいた自宅の窓からの撮影です。
隣家の窓と樹木が見えますが、窓ガラスには水滴が付着しています。
これは窓ガラスのクローズアップですね。
雪か雨が溶けて流れる様子のようです。
これは鳥の群れが飛来する様子を映したものです。
「時を思う窓」は時の流れと水滴の様子をシンクロさせた作品で、作品の中に固有の時間が存在しています。
小展示室の「定点を打つ」です。
窓ガラス越しに見える電柱と電線。
ここにも水滴が付着しています。
駐車場の駐車するクルマ。
ハザードランプが点滅しています。
基本的にはこの場面と電柱の場面(合成編集を含む)で「定点を打つ」は構成されています。
その合成と思われるシーンです。
窓ガラスを流れる水滴と黄色いハザードランプの点滅、その中間にぼんやりと見える電柱、電線。
時を1枚の絵に押し込めたような、秀逸な映像です。
冊子の作品「「その時をつくる為のドローイング」です。
これはいわゆるパラパラマンガの原理で作られた本で、寺院の時計台の30時間分が収められています。
撮影方法は意外にもアナログで、20分置きにデジタルカメラのシャッターを切って作ったものです。
撮影場所はかつて永冶さんがワーキングホリディで滞在したオーストラリアです。
永冶さんは主にビデオという形式で、時をテーマに作品を制作してきました。
今回もテーマは時です。
本展によせたコメントがありますので、転載します。
ある出来事を、永くも一瞬のようにも感じる事がある。
時計によって計られた時の中に生きる我々が、その計りを失ったとしたら、、。
窓をきっかけとして、本来我々が感じとってきた「時」について再考する場をつくる。
窓と水滴。
これは永冶さんの作品のキーワードともいえます。
水滴は、その誕生と消去(蒸発)、そして過程に表れる流れで、時の経過を表します。
ある時はゆっくりと流れ、ある時はスッと流れる、窓の水滴。
透明なスクリーンである窓は、外の景色と水滴の流れを二重写しにして、わたしたちに時を告げます。
それを永冶さんは編集という手段で、スピード(速度)をさりげなくコントロールし、時を浮かび上がらせます。
時計という便宜的な時間ではない、本当の時とは何かを探るために。
時、時間とは端的にいえば、変化です。
その変化を直線として捉え、経済的功利に活用したのが近代という時代です。
それ以前は、時間は円環するものと考えられていました。
過去、現在、未来が輪のようになっていて、巡っているものと考えられていたのです。
永冶さんのビデオ作品がループになっているのも、単なる便宜だけではなく、時の円環構造に倣っているのではないでしょうか。
わたしたちは今、時や時間に弄ばれているような気がします。
スケージュルにそって、時間の調整をしたり、時間が有るとか無いとかで、頭を悩ませています。
主役はわたしたちではなく、時計という物差しで計られた時間です。
その傾向は年々増すばかりで、月日の経つ速さに追われています。
永冶さんのビデオ作品を画廊で見ていると、やはり、主役は時や時間です。
しかし本人のコメントの通り、時計の時間ではありません。
水や光などの変化で表される、時です。
それが主役で、わたしたちはその「時」の従者です。
されどこの場合、従者であることは一つの快感です。
大きな宇宙の流れ、(それは窓と水滴という日常の風景で表されていますが)、それに従うこと。
あるいは、変化と一体になること。
それこそが、本来の意味で、時間や時を自分のものにすることです。
山中の霧の流れ。
窓に付着する雪や水の変化 。
特別の風景でもない、日常の眺めです。
それを映像という時間に変換して、わたしたちの前に提示する。
その一連の流れの中で、時や時間が立ち上がってきます。
画廊に置かれたイスに座って、時を忘れて、ご覧になることをお薦めします。
ご高覧よろしくお願い致します。
2006年藍画廊個展
iGallery's eye vol.5 永冶晃子展ー時間を思う場所ー会期
2012年1月30日(月)ー2月4日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)