瀬古徹展
SEKO Toru
瀬古徹展の展示風景です。
各壁面の展示をご覧下さい。
画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、作品タイトル〈 a board no. 15 〉で、作品サイズ31.5(H)× 15.0(W) × 0.6(D)cm、〈 a board no. 10 〉で30.7 × 20.8 × 0.7、〈 a board no. 2 〉で30.2 × 22.5 × 0.5です。
正面の壁面です。
左から〈 a board no. 1 〉で34.9 × 20.4 × 0.7、〈 a board no. 17 〉で30.0 × 22.3 × 0.5です。
右側の壁面です。
左から〈 a board no. 14 〉で20.2 × 13.9 × 0.8、〈 a board no. 9 〉で19.5 × 13.1 × 0.4、〈 a board no. 3 〉で18.2 × 18.0 × 1.1です。
入口横の壁面です。
左から〈 a board no. 16 〉で38.6 × 5.6 × 0.8、〈 a board no. 13 〉で30.2 × 13.4 × 0.5です。
以上の10点が展示室の展示で、その他事務室壁面に2点、小展示室にドローイング(鉛筆・紙)が1点あります。
作品はすべて板に張ったカンヴァスに油彩で、そのうち2点は胡粉も使用しています。
左壁面の〈 a board no. 15 〉です。
偏りのない、自然体な色と形。
とても素直な表現で、眼にスッと入ってくる作品です。
作品は板に麻布が貼ってあり、油彩で描かれていますが、一般的な絵画とは若干異なった印象を受けます。
左壁面の〈 a board no. 2 〉です。
作品には厚みがあって、壁にうっすらと影ができています。
その感じも、作品の一部のようで、自然です。
作品の自然さは、どこかに打ち捨てられた板切れに似ています。
時間が生んだ、ほど良い褪色と、ほど良い形の崩れ。
それでいて人(作者)の手触りが感じられます。
正面壁面の〈 a board no. 1 〉です。
これは面白い形ですね。
下ろし金を連想させますが、ペイントの部分が絵画を主張していて、その対比にも目が行きます。
これも良い作品ですね。
形も色も、実に中庸で、その心地よさが空間を支配しています。
右壁面の〈 a board no. 14 〉ですが、作品の構造が分かるように、斜め横から撮影した画像です。
ペイントされている麻布(板)の下に、支持体のような薄い箱状のものがあります。
(箱は新たに制作されたもの、もしくは既製の箱を利用しています。)
ペイントは板の横まで回っていて、形態的には平面と立体の中間のように見えます。
しかしそのことはさほど重要ではなく、形態の詮索以上に、作品は一つの優れた表現として自立しています。
右壁面の〈 a board no. 3 〉です。
円ですが、緩やかな円の形と色です。
制作に要した時間が、作品の時間として、無理なく昇華されています。
今度は長細い三角形。
入口横壁面の〈 a board no. 16 〉です。
微妙な形のカーブと色の塗り具合、そして少しの厚みが、この小さな作品の愛おしさです。
何か、大切な思い出のような作品です。
画廊には瀬古さんが記した短いテキストが貼付されています。
全文を転載いたします。
< a board >
さりげなく、
TVのCMで使われている無名の音楽のように。
凝視せず、
目の端に引っかかる図像。
ぽっと、そこに。
一杯のお茶を飲むための、
絵画。
いや・・・、ただの板っ切れ。
2009.11.16 瀬古徹
とても、気持ちのよい作品です。
その気持ちの良さを説明すると、作品の語り方が丁度良いからです。
煩(うるさ)くもなく、寡黙でもなく。
耳に心地よい言葉が、まるで空気のように、存在を主張することなく、存在している。
世の中に隙間というものがなかったら、とっても窮屈です。
隙間があるからこそ、そこに風が吹いて、わたしたちは息をつけるのです。
しかし、隙間を形にしたり絵にしたりするのは、難しい。
その難しい仕事を、瀬古さんはやっています。
世の中の人は、そこに在るいろいろなものに目を奪われて、隙間の重要性に気がつきません。
というか、世の中の人はとても忙しいので、隙間などに構っていられないのです。
しかし椅子に座って静かに考えれば、世の中の中心は隙間なのです。
隙間があって、世の中のあらゆるものは存在することができるのです。
わたしは、路傍に捨てられた板切れを、美しいと思う時があります。
その時を経た、板切れのペンキの色具合と形。
その美しさに、足を止めることがあります。
瀬古さんの作品は、それに大変似ていますが、違う部分があります。
当たり前ですが、瀬古さんの作品は、瀬古さんという作家の作った作品だからです。
隙間であったり、無名であったりすることと、作家性の両立はかなり難しい作業です。
空中高く張られた、細いロープの上を歩くようなものです。
肝心なのは、重心に偏りがなく、歩みが自然なことです。
ロープに適度の重さを感じさせて、なおかつ、ロープの弾力をうまく利用することです。
そして、優雅であることも、大切です。
優雅とは、人の作る軌跡や佇まいだからです。
瀬古さんの作品は、そんな両立が作品の中に潜んでいます。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2003年藍画廊個展
会期
2009年11月16日(月)-11月21日(土)
11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内