テープで描いた小さな椿の上に、カッティングシートの大きな椿の花びらのラインが重なっている部分です。
展示を離れてみると、作品は三層(風景の絵と大小の椿)になっているが分かります。
長い作品タイトルに、「サウンドスケープ」という文字があります。
「サウンドスケープ」とは音の環境といった意味です。
リアルな風景とは、視覚だけでなく五感で眺める(感じる)ものです。
無音の風景は特殊な実験室以外には存在せず、風景には必ず音があります。
(しばらくすれば、その実験室にも音があることに気付きます。体験者の心臓の音です。)
伊藤さんは、在学中に講義で、森を散策しながらマイクで音を採集するというCDを聴いたことがあるそうです。
その後自身でも公園などで同じように音を収集し、それを加工して音楽にした経験があります。
採集された音の多くは、普段は気に留めない音、つまりノイズ(雑音)でした。
しかし、もしそのノイズがなければ、音環境は不自然なものになってしまいます。
この経験が、その後の伊藤さんの作品に大きく影響を及ぼしたそうです。
伊藤さんが描く公園や街や花は、意図的に採集(サンプリング)された景観です。
特に特徴もない、東京ではありふれた景観です。
その多くもノイズですが、良し悪しは別に、それこそが東京の景観を構成する重要な要素になっています。
東京を絵葉書のようなクリーンな景観だけで紹介するガイドブックが、実体の東京と異るのは、ノイズを除去しているからです。
伊藤さんは音楽でも表現活動をしています。
音楽でノイズといえば、不協和音です。
清らかな和音だけで構成された音楽は、気持ちは安らぎますが、身体性が著しく欠如した音楽です。
ロックやブルースにおけるエレクトリックギターの導入は、不協和音による身体性の獲得でした。
電気による増幅は、反自然(人工)ではなく、極めてナチュラルなプロセスといえます。
伊藤さんは、なぜモノクロームの絵を描くのか。
それもノイズと関係していると思います。
色彩の彩度をなくすと、色に隠れていたノイズが浮き上がってきます。
そのノイズこそが、景観の基調を構成しているものです。
もう一つ、伊藤さんはなぜ花を描くのか。
それも、あのような大きな花を描くのか。
花の象徴するのは生殖、つまり生と死です。
とりわけ、生命にとって死は避けられないものです。
日常の景観に、死の様相はありません。
(あたかもノイズのように)、消されてしまったのです。
その復権と尊厳を込めて、あのような大きな花を描いている。
それはとりもなおさず、生の謳歌にもなりえます。
わたしはそのように勝手に想像しながら、この大きな作品と対峙しました。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2005年藍画廊個展
2006年藍画廊個展
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