インスタレーションのメインとなる「他者の温度」です。
前半の「引き合いの場所」のパートを大幅に改変した作品です。
この展示が前半のイメージを最も引き継いでいて、逆にその変化に興味がいきます。
スタイリッシュでクールだったガラステーブルは、ガチガチに凍てついて、コールドになってしまいました。
静かな凪(なぎ)の景色は、氷海の荒々しい景色に。
氷の海の間には、あの小さな白い舟も浮かんでいます。
(舟に付いていた鎖は中途で断たれています。)
青い海と砂浜。
その上部に展開されている、凍てついた海の光景。
ガラステーブルの上の光景は、箱庭ないしは枯山水のような体裁。
二つの異る天候が、お構いなしに同居しています。
そう、お構いなしが、清岡さんの作品の特質です。
常識的な見方を無視して、風景を自分の視点で再構成する。
再構成の鍵になっているのは、やはり水です。
(自然と人の)世界を循環している、水です。
極く簡単にいってしまえば、水の循環で世界は成立しています。
海の水が蒸発して雨を誘い、雨が降れば、川になって海に注ぎ込む。
その過程で、生物は各々の生活を成り立たせています。
水の循環に変異があれば、それは気象の変化として現われ、生物に影響を与えます。
清岡さんの作品では、マクロな水とミクロな水が入り組んだように構成されています。
自然界と人間界の水が、唐突に出会って、風景を形作っている。
海と浴室が、同じ地平で風景になっています。
そこが見る者を混乱させる原因で、清岡さんの作品世界の入口になっています。
小さな白い舟は、清岡さんの分身です。
舟は航海しているようで、留まっているのかもしれません。
世界を見て歩いているのではなく、一つの地点から風景を眺め続けているのではないでしょうか。
風景の変化を眺め、その風景の奥底に行きたいのが、あの小さな白い舟の意味と想像します。
風景を再構成する時、清岡さんによって使用される材料は、自然も人工も等価です。
海岸の砂もインテリアショップのガラステーブルも等価。
そこに違いはありません。
しかし見る者にとっては、水の唐突な出会い同様、違和感と奇妙な統一感を覚えます。
それこそが、清岡さんの眼目であり、「風景に還る」方法なのです。
ご高覧よろしくお願いいたします。