画廊で作品と対面したとき、多くの人は、少年たちの姿に自己を見る思いがするでしょう。
現実は過剰なほどの天然色で、モノに溢れていて、それらに惑わされていますが、わたしたちの真の姿は少年たちです。
無防備で孤立していて、重すぎる頭にうな垂れ、持っているのは単なる四角い箱。
モノクロームの世界で、少年たちは行き場を失っています。
世界は忙しい。
そう、世界は忙しく動いていて、わたしたちも忙しく生活しています。
それは真実かといえば、半分は本当で、半分はウソです。
わたしたちは、はるか彼方の海の向こうの事件や騒動を知っていて、時にはそれについて考えます。
本来は関係ない出来事でも、関係ないと言い切れない立場に置かれています。
情報は毎日津波のように押し寄せてきます。
時間はわたしたちの手許から離れて、機械的に進んでいます。
何故だか分からないまま、わたしたちは忙しい毎日を送っています。
ふと気付いてみれば、わたしはわたしの隣人について、ほとんど知りません。
忙しくてそんな余裕はありませんし、興味もありません。
(だって、わたしは世界の出来事や情勢で頭がイッパイですから。)
いつから、そうなったのでしょうか。
どうして、そうなったのでしょうか。
画廊に展示されているのは、少年たちの身体と箱だけです。
さて、この箱とは何でしょうか。
少年たちの頭に取って代わり、後生大事に抱えている箱。
この箱の意味を、ユックリと考えてみましょう。
時間は気にしなくても大丈夫です。
実は、わたしたちは、さほど忙しくないのですから。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2005年藍画廊個展
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