高橋理加展の展示風景です。
画廊内展示の全景です。
タイトル「くもの糸」で、牛乳パックの再生パルプ・ロープ・布を使用しています。
子供の人形一体の体長は60〜70cmで、28体あります。
「くもの糸」は、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の話を借りています。
地獄に墜ちた大泥棒が、生前の唯一つの善行により、蜘蛛の糸で極楽目指して上る話です。
大泥棒は下から上ってくる罪人たちを叱りつけた途端、糸が切れて、再び地獄に墜ちてしまいます。
この話のアウトラインだけを借りています。
糸(ロープ)を争っているのは、罪人ではなくて子供で、この子供は他ならぬわたし達自身のメタファーです。
ロープが表しているのは、天から降りている一筋の希望のようなものです。
画廊の天井です。 布で作成した雲。 雲上から降りているのは、希望という名の糸です。 |
子供がわたし達自身だとしたら、争っている現場は、わたし達の社会です。
わたし達の社会は競争社会と呼ばれています。
競争に勝ったものだけが幸せを掴む権利がある、という社会です。
競争に勝つには、努力して他人に勝たなければなりません。
牛乳パックの再生パルプで制作した子供。
誕生と死のサイクルを繰り返す人間を表しているのでしょうか。
争って糸(ロープ)を手繰っているうちに、地上には糸の山が築かれてしまいました。
何とも、もったいないですね。
道路側ウィンドウに展示された作品です。 「くもの糸」の部分(ワンシーン)で、切れてしまった糸を見上げる子供です。 |
一灯の照明だけの、仄暗い画廊の中の作品を眺めながら、わたしは考えました。
競争社会に勝ち抜いて、希望が手中に入ったと思った瞬間、スルリと抜け落ちてしまう幸せ。
このパラドックスはどこから来ているのでしょうか。
それは恐らく、希望や幸福が一方的に与えられらたものだからでしょう。
もしそうだとしたら、与えられた希望や幸福の中身を疑い、その曖昧さを検証することが必要です。
それを成立させている基盤(社会)の存在理由を考えることが、大切ではないでしょうか。
ご高覧よろしくお願いいたします。
作家Webサイト