水永宗勝展の展示風景です。
画廊入口から見て、正面と右側壁面です。
多くの写真と資料(キャプションも含む)が展示されています。
写真は水永さんが今年の八月にポーランドのアウシュヴィッツで撮影したものです。
資料もアウシュヴィッツに関連したものが展示されています。
右側の壁面と入口横右の壁面です。
壁面に設置された棚には、水永さんがアウシュヴィッツで採集した木片、葉などが展示されています。
左側の壁面です。
順序が逆になりますが、こちらが展示のアプローチとなっています。
アウシュヴィッツはポーランドのクラコフ市の郊外にあります。
クラコフ市は版画ビエンナーレ(隔年開催)で有名です。
展示の導入として、クラコフ市で撮影した老人達と風景、及びテキストが展示されています。
右側壁面の展示です。
アウシュヴィッツには第一収容所と第二収容所があり、後者はビルケナウにあります。
規模は後者の方が大きく、水永さんの展示もビルケナウが中心になっています。
撮影は快晴の日で、ここで人類史上最悪の出来事があったのが嘘のように、風景は静まり返っています。
ビルケナウで水永さんが注目したのは鉄道の引き込み線です。
幹線から逸れて、収容所へと向かう引き込み線。
展示は丹念にその足跡を追っています。
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ビルケナウの収容所の建物です。 下のキャプションには、 死のブロック(女性専用) 「翌日に殺される人たちのうめき声が毎晩聞えてきたという。」 と書かれています。 |
収容所の周りには、脱走を防ぐため高圧電流を通した鉄条網が張り巡らされています。
この鉄条網がなかったら、ここは長閑な郊外の風景に見えるかもしれません。
同じ空の下で、あのような残虐な出来事があったとは信じられません。
しかし、ユダヤ人虐殺は歴史的事実です。
展示の中に水永さんの作品コンセプトが記されています。
下に転載させていただきます。
もの(物)をじっくり見つめる、そしてゆっくり考える。
それはとても単純で素朴な行為だ。
そんな行為の中に、今この困難な世界を生きのびる手立てがあるのではないか。
人としての本来の感性を取り戻したい、ただそのためにものを作っている。
(改行は原文と異ります。)
既に遠い過去として、記憶の片隅に追いやられてしまった出来事。
その出来事をじっくり見つめ、ゆっくり考えると、何かが見えてくる。
それは、人間とは何かという問題です。
水永さんの撮影した多くの写真と資料を見ていると、わたしは人間が作る共同体に考えが及びます。
狂気を生んでしまった共同体(システム)の歴史的背景です。
それをじっくり見つめて、ゆっくり考えたいと思います。
ご高覧よろしくお願いいたします。
2001年藍画廊個展