沖葉子/territoryの展示風景です。
作品はすべて写真(タイプCプリント)で、アルポリックでマウントしてあります。
画廊入口から見て、正面と右側の壁面です。 左三点のサイズは共通で、各675×540cm、 右は900×720cmです。 |
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入口横右の壁面です。 サイズは、750×600cmです。 |
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左側の壁面です。 サイズは、1400×1200cmです。 この他、道路側ウィンドウに一点、芳名帳スペースに一点の展示があります。 |
入口に作家の沖葉子さんの記したテキストが掲示されています。
以下に全文を掲載いたします。
人間が計画的につくった街やビルと一緒に、植栽というかたちでの自然(植物)がその一部分に配置される。
それらの植物は、人工的空間を埋めるための人間がつくった自然と言えるのかもしれない。
しかし、もはやそれを自然と呼ぶことには抵抗をおぼえる。
いわば便宜上の植物のかたちをした自然といえないだろうか。
あるいは、それら配置された植物は「自然」という記号を表わすものなのか、もしくは人工的空間に対する装飾でしかないのだろうか。
建築物のまっすぐな線や壁の冷たさに対して、それらの半ば人工的な植物は、なじんでいるような、いないような印象を受ける。
このような光景は日々目にするが、そのどこか中途半端に映るたたずまい(存在感)は、見たひとの目を憩わす効果もあろうが、それ以上にその存在のあいまいさが浮かび上がる。
人工的な空間に据えられた記号としての植物は、視るほどに自然でも人工でもない、とらえにくいあいまいなものへと成り変わってゆく。
同時にそれらの植物は何らかの目的を持たされたものなのか、そうでないのかも頼りなく揺らぐ。
しかし、写真という平面に変換されたそれらは単純に表面と輪郭のみを残す。
そして、その輪郭と表面における質感に、実物とはまた別のリアルさを感じる。
正面壁面の三点です。
東京の埋立地である、有明近辺のオフィスビルの風景です。
植栽が新しい建築物の間に点在しています。
写真に写っている植栽は、建築見本やジオラマで使用される模型のような存在感です。
左側壁面の作品です。
意図的に光を過剰に取り込んで撮影した、ハイキーのプリントが目に眩しく映ります。
植栽に混じっているのは、モニュメント(立体作品)です。
鏡のようなステンレスが、だまし絵のように景色を映しだしています。
何か、物凄く寂しい景色ですね。
「不毛」という言葉が、頭の中に浮かびました。
入口横右の壁面です。 コンクリートの近代建築と和風の植栽。 実在感の乏しい、「絵に描いたような」景色です。 |
ハイキーでトーン(色調)を揃えた、カラープリントの展示。
これは、見事に今を映しだしています。
植栽に焦点を合わせた、視点の勝利です。
この妙なリアルさが、わたし達が進もうとしている未来のリアルではないでしょうか。
存在を規定しているものが不確かで、揺らぎながら存在しているものに囲まれた未来。
曖昧さに溢れた、この先の世界です。
道路側ウィンドウの作品です。 (サイズ350×280cm) ビルのファサードの植栽です。 自然の記号として存在している、中途半端なたたずまい。 これが不自然な景色なのかどうなのかも、気に留めなくなっている、わたし達。 ご高覧よろしくお願いいたします。 |