本展は43名という多数の作家の出品ですから、思わぬところに思わぬ作品が展示されています。
床の隅や壁面の角にヒッソリと置かれた作品、あるいは真下から見上げる作品。
栞に対する各作家の解釈の多様さが展示方法にも表れています。
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左上の床に置かれた本の作品、挟まれた黒縁眼鏡が面白いですね。
読書を一休みして、遠くを見ているかのようです。
壁の曲り角に佇む小さな白い作品。
作者の意図とはまったく関係なく、眼鏡の視線から身を隠しているようなユーモラスな感じがします。
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左は芳名帳の上に展示された多数の作家による缶バッジの作品です。
右の日章旗の作品は軍人将棋をモチーフにした作品です。
(軍人将棋、わたしの年代では微かに記憶に残っています。)
今回は前回栞展に比べるとストレートに本を題材にしたものが多くなっています。
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右下の作品、池沢夏樹の「スティル・ライフ」を丁寧に鉛筆で写本したものです。
栞は書店の注文伝票で、無造作に置かれた下の新聞紙は台座だそうです。
画廊でこれらの本を見ていると、本の物質性とその物質の確かさに改めて気付かされます。
今わたしが文字を最も目にするのはコンピュータのモニター上です。
読書は好きですが、時間数にするとモニターで読んでいる文字の時間の方が遥かに多いと思います。
本は文字(画像)を入れた容器ですが、その存在には容器にとどまらない文字(画像)との一体感があります。
そういった意味では、LPレコードのジャケットがよく似ていますね。
内包された音楽と切っても切り離せないジャケットの画像とデザイン。
音楽を聴けばジャケットが目に浮かび、ジャケットを見れば音楽が頭の中で鳴りだす。
そういった物質と人間の関係は、徐々になくなりつつあります。
それが懐古になったとき、初めて失った関係の意味の重さに気が付くのかもしれません。
栞も物質ですが、本と栞の関係は一筋縄では行かない関係です。
挟む本がなければ栞は無用の長物です。
役立たずですね。
でも栞があれば、安心して読書を中断できます。
慌てて眼鏡を栞代わりにするという危険な行為をしなくても済みます。
(実際にやったことがあります。)
ひょっとしたら、栞は人生のお守りのようなものなのでしょうか。
(という解釈は一つの解釈に過ぎず、それ以外にもいろいろな解釈があるから栞展のような展覧会が成り立つのですね!)
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しかし多様多種な栞です。
この展覧会を本に喩えれば、短編小説集かもしれません。
壮大なストーリーの物語ではなくて、日常の隙間に潜んでいる小さな物語を集めた本です。
そしてそれは、きっと文庫のように手軽に持ち運べる本です。
小さな藍画廊に相応しいような。
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御高覧よろしくお願いいたします。 |
栞-しおり- bookmark 展
本展は、アサヒビール株式会社、NPO芸術資源開発機構(ARDA)のご協力をいただきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。
2003年8月13日(水)-8月22日(金)
11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)
会場案内
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