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「探偵物語51」


前回の続き

寺では大概、仏様だけではなく神様も祀られています。
参道の脇や、寺院の横道や裏手にヒッソリと神様が佇んでいます。
多くは石の像で、本業(?)に差し支えないように、控え目に存在しています。



こんな感じに、存在しています。
寺の冗舌に対して、黙するかのように存在しています。
手入れが為されているのかどうか、それも分からない程度に存在しています。

左は恵比寿様でしょうか。
耳朶が立派に垂れ下がっています。
中央と右の神様は、分かりません。
分からないけど、素敵です。

寺にヒッソリと佇む神様には、花や水(や酒)が供えられています。
誰が供えているのか、ほとんどがそういう光景です。



湧き水に備えてあった、プラスティックのカップ。
色が、鮮やかですね。
何てセンス良い配色でしょうか。
実はここにも神様が潜んでいましが、ミスショットで掲載不可です。



これは仏様ですが、ヒッソリ系で、神様の仲間です。
寄り添うような小さな仏様が、カワイイですね。
木の根元の祠が、神仏混淆を現しているかもしれません。
注目して欲しいのは、手前にある硬貨です。
花や水と共に、このような像には硬貨が置いてあります。
(最初の恵比寿様の石像にも置いてありますね。)

アルミの一円、穴の開いた五円、銅の十円硬貨。
それらが入り交じって、置いてあります。
これらは、捨てられた硬貨です。
捨てられて、神様、仏様の許(もと)に還った硬貨です。
いわば、成仏した硬貨です。



ご本尊(ないしは神様)は大木の根元の祠に隠れていますが、硬貨がその存在を証明しています。
願いを叶えるために、人は硬貨を捧げるのか。
いえいえ、違います。
浮世を忘れるために、硬貨を捧げるのです。
西洋の泉に、硬貨を投げるのとは訳が違いますよ。

貨幣(硬貨)は、浮世です。
浮世は楽しいし、悲しい。
それを忘れて、どこか遠くに思いが馳せた時に、貨幣はここに置かれます。
ここで、貨幣は永遠の眠りに就くのです。



道祖神です。
隣りの茶碗と受皿が、チャーミング。


気が付くと、わたしは元の山門に帰り着いていました。
いやいや、日本の宗教は奥深い!
今度老人が訪ねてきたら、饅頭を食べながら、その話をしようと思っています。