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探偵物語(30)


電話が鳴ったのは、元旦の夜11時過ぎでした。
妻と友人たちをクルマで都内まで送り、自室に戻って缶ビールを開けた時でした。
受話器を耳に押し付けると、聞えてきたのは、昔在籍していた探偵社の同僚の声です。

彼はわたしと同じように退社後独立し、探偵事務所を都内で開きました。
探偵一人だけの事務所なのも、わたしと同じです。
新年の挨拶もそうそうに、彼は言いにくそうな口調で仕事の話を始めました。

家出人の捜索を依頼されていて、途中までの足取りは掴んだが、その先で難渋している。
関係者がK市(わたしの事務所の所在地)にいて、調査したいのだが、身動きが取れない。
なぜなら、同時に請けている調査の締め切りが明日で、一日がかりで報告書を書かなければならない。
家出人の方も中間報告が三日後なので、何とか手掛かりを掴んで出したい。
というわけで、済まないが明日調査に行ってくれないだろうか。
そんな、依頼でした。

正月から何とも忙しそうですが、彼いわく、年末で済ますはずの仕事が諸般の事情で年を越しただけ、とのことでした。
わたしも彼に都内の調査を依頼したことがあり、ここはお互い様です。
幸い明日は何の用事もありません。
二つ返事で調査を引き受けました。
メールに調査内容と家出人の写真を貼付してもらい、直ぐにプリントアウトして仕事にそなえました。



一月二日は曇天の寒い日でした。
午前中、関係者の住むK市の西南の街まで出かけ、調査を終えました。
成果といえるかどうか疑問ですが、多少の手掛かりを得ることができました。

街のファミリーレストランで昼食後、隣接している書店で本を一冊購入し、クルマを広い駐車場に置いたまま歩き始めました。
手にはカメラが握られています。
これは予定の行動で、新年早々の街を切り取ろうと思ったからです。

この街の概要を簡単に説明します。
K市の西側には、市中と郊外と分ける大きな川が流れています。
街は川の向こうにあり、K市の郊外として最初に発展しました。
その後、郊外化は進行して、街のさらに先の市外に繁栄の中心が移りました。
それでも、K市の指折りの商業地で、最近も大型量販店や娯楽施設がオープンしています。

わたしが歩みを進めたのは、幾つかの大型店舗の間にある、放置されたような空間です。
一昔前、家具団地(工業団地)として造成され、その後寂れた一帯です。



実をいえば、わたしは年末から正月にかけて、鬱々としていました。
仕事から解放されて寛ぐどころか、つい良からぬことを考えてしまったのです。
考えても仕方ない行く末に不安を感じ、思わず溜息が出てしまいました。
誰もが感じているかもしれない、仕事や家族や健康に対する不安ですが、ポツンと空いた時間にそれが押し寄せてきました。
そんなわけで、調査は気分転換になる可能性がありました。

ところが、曇天と寒さがそれを許しませんでした。
わたしは気の滅入るような空の下を、灰色の気分で歩いていました。
しかししばらくすると、光景がわたしの心の中にポッと小さな火を点けました。
その小さな火の熱は、ゆっくりと身体全体に伝わっていきました。

曇天の空は一面の灰色で、それも限りなく白に近い色です。
光は、厚い灰白色のカーテンを透して地上に降り注いでいます。
地上の色彩は、青空の時とは様相を変えています。
この日の曇天が特別だったのかどうか、わたしはその色彩に魅了されていきました。



夕暮れのコントラストとは正反対の、曇天のフラットな光の世界。
そこに映る、くすんだ色の配色。
誰が色を並べたわけでもないのに、色と色の間には、不思議な調和があります。

わたしの記憶は、名前を忘れた一人の静物画家に辿り着いていました。
細長い瓶を並べて、静かな世界を描く画家です。
画家は、控え目な色で、瓶の美しさを描いていました。

次回に続く。