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探偵物語(24)


前回の続きです。

壁(塀)に沿って歩き続けていくと、反対側の正門前に来ました。
途中、人家は疎らで、差し入れの弁当屋と思しき店もありません。
正門の向かいは小さな公園で、その向こう側には新築の集落があります。
ここに移転した当時、周りはすべて田圃だったと想像されます。

正門を過ぎると、やはり官舎があって、こちらは団地風の建物が数棟並んでいます。
団地の入口には注意書きの看板があって、ここからは刑務所の敷地で用事のない者は立入り禁止、と記してあります。
わたしは後ほど用事があるので、構わず入らせていただきました。



団地を通り越すと、又壁(塀)が目の前に見えます。
左の搭は、中央監視塔です。
大きな鉄扉は、クルマの通用門でしょうか。

わたしの知人に二人ほど、刑務所経験者がいます。
一人は、一時親戚だった人で、公務員でした。
汚職で、以前のK刑務所に拘置されていました。
結局は執行猶予が付いたようで、懲役には行かなかったようです。
その人が刑務所で一番印象に残ったのは、刑務所の桜だったそうです。
丁度開花の時期に収容されていて、とても桜が奇麗だったそうです。
(そういえば、あそこは桜の名所だったような記憶があります。)

もう一人は、わたしがK市に事務所を開いてから、仕事で知りあった人です。
この人は、元ヤクザ関係で、今のK刑務所で懲役になりました。
裁判所はヤクザ関係に厳しく、通常なら執行猶予が付く初犯の事件も、一発で懲役だそうです。
そんなわけで、運悪く二度ほどお務めしたそうです。

この人からいろんな話を聞きましたが、覚えているのは、お節(おせち)の話と夏の暑さです。
K刑務所のお節料理は、受刑者間でも評判で、多くある刑務所の中でも特に美味だったそうです。
(これは当然、渡り歩いた受刑者の採点だと思いますが。)
この刑務所の夏の暑さも格別で、(暑がりの人にとっては)堪らなかったようです。
陽を遮るものがありませんし、鉄とコンクリートに囲まれていますから、たしかに盆地特有の暑さは厳しいと思います。



昔の刑罰は、見せしめの身体刑が中心でした。
今(近代以降)の刑罰は、更生が主になっています。
もちろん、自由を奪う(塀の中に閉じ込める)という罰と同時にです。
ともあれ、適正な人間に改造して、社会に従順させるのが刑務の役割に変わっています。
身体刑からいわば精神の刑罰に、変わったのです。

そのことは、学生時代に読んだフーコーの「監獄の誕生」に述べられていました。
ミシェル・フーコーはフランスの哲学者で、とても難解な論理でしたので、わたしは流し読みしただけです。
それでも、とても印象に残った書物で、わたしのモノの見方に影響を与えました。
フーコーは偉大な探偵で、些細で日常的な事柄から膨大な史料にあたり、社会や権力の実態を暴いた人でした。

「監獄の誕生」で、特に有名なのは
「パノプティコン(一望監視装置)」というの監視施設です。
先ほどご覧いただいた中央監視塔のような施設です。
「パノプティコン(一望監視装置)」には仕掛けがあって、搭を囲むように円上に配置された囚人房からは、監視人が見えないようになっています。
一方、監視塔からはすべての房が見える仕組みになっています。
極端な話、監視塔に監視人がいなくても、囚人は常に監視されていると思い込みます。
これが「まなざし」による管理で、権力は囚人の内面に発生します。

少し難しい話になってしまいましたが、流し読みの成果はあてになりませんから、それこそ流し読みして下さい。
まぁ、散策しながら柄にもなくフーコーの著作を思い出したのは、もう一つ理由があります。
フーコーの代表的な概念を表す言葉に、「ディシプリン(規律=訓練)」があります。
権力、社会に従順な身体を作りだす管理システムの要諦です。
これが専ら、兵営、工場、病院、学校といった場所で発揮されます。

そうすると、わたしが最初に航空地図で見た刑務所が、工場や学校に見えたのは偶然とは思えません。
建物の構造、配置に「ディシプリン(規律=訓練)」があるのかもしれません。
しかも、この前の「探偵物語」は工場だったし・・・・。
無能な探偵は、その先を何処に求めていいのか、思案に暮れていまします。



一周して、元の場所に戻ってきました。
画像の右側の道を行けば、あの小さな監視塔です。
手前は高速道路の下のトンネルで、その先にクルマを停めてあります。

待ち合せまで、後五分。
それでは、仕事に行ってきます。